▲オープニングのミュージックスターマイン
昨年初開催の三陸花火大会。
予定では春にも開催が計画されていたが、コロナ禍の状況を鑑み、それは中止となった。
秋には何とか…と祈るように待っていたら、無事開催の報。そして開催前には明らかに全国的に感染者数が減っていく様を見る。気が付けば、全国的にそういう状況になっており、用心はしつつも移動制限も無くなって、結果オーライとなった。
待っているこちらもやきもきしたが、それは開催サイドの方が何倍も感じていただろう。無事開催にこぎつけていただき、本当に感謝しかない。
早い人は前日から現地入りしていたようだが、こちらは当日のあさイチの新幹線で北へ向かう。電車を降りたら、そこからはバスの旅(BRTではない)。乗っちゃえば会場近くまで行けちゃうし、優先入場時間にも間に合う。
そんなこんなで割と早めに会場入り。
今回、カメラマン席は会場の後方に設定された。ここ、ワイドに打ち上げるので、激チカより後方の方が何かと良い。なお、この席よりも後方の高台で見る人もいて(キャンププランらしい)そっちの方がいいよなぁと指を銜える。まぁ、ココで十分なんだけれどね。
無事場所が決まったのでランチへGO! おいしいおさかな食べました🐡
食後に「道の駅陸前高田」へ。
「奇跡の一本松」の場所である。花火会場から歩いて10分ちょっとで行けるんだけれど、昨年行っていなかったんだよね(往路ルート違うし)。
一本松はすでに枯れ、現在は復元された松のモニュメントが立っている。松と海の間には建物があり、これも津波で破壊された。この建物が津波の威力を抑え、何万本もの中でたった1本の松を守ったとも言われている。
道の駅の反対側にも震災以降の建物が残されている。
道の駅には、献花台が設けられており、今もそこの花をささげている人がいる。
献花台の向こうには長く高い防潮堤がそびえたつ。
道の駅からは海は見えない。
まだ新しい防潮堤の上には行くことができる。そこに上がって、初めて海が見える。
防潮堤の向こうには、地元の子どもたちが新たに植えた松の幼木がぎっしりと連なっていた。今年植えられた松で再生プロジェクトは終わったらしい。この松の苗を植えた子供たちが、50年後に新たな高田松原を見ることになる。
防潮堤の上から、小さな松の苗とその向こうで花火の準備をしている煙火店さんを見て、花火会場に戻った。
夕方には、だいぶ入場者も増えてきた。
徐々に、空が紺色から黒色に変わり、花火打ち上げの時間となる。
▲オープニングのミュージックスターマイン
これよーく見ると星が見えます。
▲この秋は「三陸競技花火大会」なので、怒涛のスタマの合間に競技花火が上げられます。イマイチレギュレーションがよくわからんし…。
▲競技花火より
▲東北を舞台にした朝ドラをイメージした花火「あまちゃん」
あまちゃんが潜っていた小袖海外の海ですね(てきとー)
▲続いては、「エール」。ほとんど東京で古〇裕〇が売れなくでうだうだしていたり、サラサラ髪でカジュアル戦地訪問をしたイメージしか記憶にないのですが、途中でたリンゴの意味は分かりましたか?あれ、主人公の弟が地元に残って店を畳んで役場に務め、農業振興にリンゴを取り入れたエピソードなんですよ、多分(打上イメージは知らんけど)
▲そして、最後は現在放映中の「おかえりモネ」。
緑みどりしていて、これって初期の登米のイメージ!? 登米の林業組合に努めていたモネがキャラ崩壊してラフターヨガでわざとらしく「わーはっはっはっは」って森の中ではしゃいでいたイメージなのかなぁ…。以後、おら気象予報士になったから東京行くだって上京してテレビのお天気お姉さんになったんですが、最近では気仙沼でお天気ラジオしている話になっていま…ダレカキタ
▲第5章のミュージックスターマイン 多分…。
▲第5章のミュージックスターマイン 多分…。
▲東京オリパラに合わせたミュージックスターマイン。中間の5つの輪がポイント
そして謎の団体戦が始まる。花火の大きさだけを統一して、2手に分かれて打ち上げるスタイルなのだが、、サイズだけではなく色とか形態を決めていればまだしも、全然違う玉が時間差で上がるから、一般人の方が多い観客(全員が採点者)は、何を持ってジャッジしているのか盛大に「???」が浮かぶ。
この辺りは、もうちょっと主催側も考えた方がいいんじゃないかなぁ…としか感想が出ない。
そしてフィナーレのミュージックスターマイン。
▲上中下とも濃密な色展開で攻める
▲上の花火は、秒でピカピカと色が変化していくタイプの花火。左右で開花向きが90度違うので、縦に変化するものと横に変化する光が走る
▲千輪千輪大盤振る舞い
▲もはや色彩の暴力に近いものがある
▲フィナーレは驚きの白さになるのだが、ものすごく輝度を抑えて、色味を無理やりあぶりだしてみる。。
新興の花火大会で、0から作り出して定着させていくという思いがこの形を導き出したのだろうとは思うが、とにかく発数を稼ごう(東北最大にしよう)という思いが強いのは分かるが、あまりの発数の多さに、観客はちゃんとこなすことはできるのだろうかという疑問はある。
正直、自分も撮影した写真を見て、これなんだったっけ!?状態に陥っている。
もう脳のしわが無くなりつつある身には記憶はあてにならない。
一般の観客はこのボリュームをきちんと受け止めて記憶に納めているのだろうかという疑問はある。
とはいえ、ギリギリコロナ禍が落ち着いてきた中開催したこの花火大会、昨年からここまで持ってくるのは相当な苦労をしたのだろうと推察される。無事にこの規模、このレベルの花火大会を企画し、当日確実に開催してくれたことは称賛に値する。
今後の進化がどの方向へと向かうのか、見続けていきたい花火であった。
運営の皆様、ボランティアの皆様、煙火店の皆様、ほんとうにありがとうございました。