▲初弾は、母校の小学校の校舎裏で見ようと思っていたんですが…(右隣も母校の高校)。
10月23日は、新潟県中越地震が発生した日。もう17年の話になるが、自分の地元でまさかあんな大きな地震が起きるとは、思いもよらなかった。東京にいた自分ですら揺れを感じたあの瞬間。揺れを感じている最中、テレビのテロップで「小千谷市で震度7だとか6強」だとかが出ていた。初期は、誤差も出るものだから致し方ない。
その揺れが収まる前に、自分は実家に電話を掛けた。
奇跡的に通じた。夕食を作り終えた母はダイニングで地震に会い、せっかく作った食事が床にぶちまけられ、食器棚は倒れ(おれも母もあの食器棚は作り付けで固定されているものだと思っていた)、仏壇(田舎にありがちな特大な仏壇)は専用スペースから1メートル以上も前進して正面に倒れて破壊された。
そんな直後の電話は奇跡的に通じ、母が無事なことと実家も同やら無事らしいことを知る。その話をしている時に第2の大きな揺れが再び小千谷を襲った。さすがに母も電話を切って、避難した。
この2度目の揺れで小千谷のライフラインは断ち切られた。電話は通じず、電気も途絶え、その結果ガスも水道もストップ。信号も消えた。地上の人工光が消えた地面から空を見上げると、星が今で見たことの無い濃度で一面に瞬いていたと、のちに会った人が皆口にした。
その晩は震度5強以上の揺れが20回以上も発生し、一晩中地面は揺れていた。
人々は避難所に行こうとしたが、避難所もここまでの揺れは想定していなかったらしく、体育館のサッシ窓が揺れに耐えきれずに割れて避難できる状況ではなかった。
結局、各自車の中で夜が明けるのを待っていた。一晩中余震に揺られながら…。
その後のことは、メディアの放送に詳しい。
のどかな町は一変し、母校の小学校には避難者の車が並び、間もなく四国からの自衛隊などが来て臨時の風呂を作ってくれた。隣の高校のグラウンドには地割れが発生し、厚い靴底越しにその割れ目が感じられたのにはゾッとした。地割れは高校のグラウンドの先にも続いていた。もちろん、ここにも避難者が集まった。地震で家を失い、自衛隊のヘリで夜のうちに避難してきた叔母家族は、家ごとにテントを受け取り、グラウンドの一角でテント生活をすることになった。
そういう場所だからこそ、ここで初弾の白菊を見るのがふさわしいと思った。打ち上げ場所は西中と聞いていた。だが、運命の17:56、白菊はあらぬ方向から上がった。震災資料を収集展示している「そなえ館」の辺りで花火が打ち上げられたらしい。
そこ、西中じゃない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
▲まさか高校のグラウンドの向こう側に控えめな高さで白菊が上がるとは…。
事前通告のように西中でのうちあげだったら、かつて小千谷最大の仮設住宅が築かれ、今年、防災公園として整備された、あの地から近く高く見えたであっただろうに…。
まぁ、何らかの配慮があったのかもしれない、と受け止めておく。
そして、そして18時には夢花火の打ち上げ。
今度は母校中学校のそばの国道沿い、信濃川の方向にスパンと抜けて見える所へ移動した。中学校のグラウンドも近隣の人が避難のために集まり、一時は食料などが不足してグラウンドに消石灰で、SOSを書き、それがヘリから移されて全国ニュースになった。明らかに私の同級生もここに何人か避難していた。
そんなところのすぐ近くで花火を待つ。
▲ここ、見通しが良いことは重々分かっていたが、ここまで専用舞台的な環境とは…
▲多くのマニアは右の花火の右側の明るい辺りにいたと思われる
▲ちらちら点滅も趣あり
▲紫の花
▲先黄緑赤の3色花火
▲割と小千谷さんらしい玉
▲黄色と青の染め分けも美しい
▲ここでニコニコ千輪がキターーー。確か、長岡でマルゴーさんが上げた年のおぢやまつり花火大会で上げたぶりだと思う。またこの花火が小千谷で見られるとは思わなかった。こういう型物は撮る方法がちょっと違うので、事前にこれ上げるよって、教えてくれるともう少しましに撮れるんだが(ないものねだり)
▲だんだんとフィナーレが近付いていくおぢや玉
▲小千谷煙火さんのグルグルキターーー
▲カラフルなせーんりーーーん!!
▲そして、〆の二尺×5発同時打ち!!
途中で、地元の友人とも久々に出会い(この現場の近くと知っていたが、まさか何の事前アポもなくここまでバッチリお会いできるとは…)、たまたま通りがかって車で止めた人など10人も満たない人々が、若干風下気味の子の二尺に包まれた。
止まらないため息をつきつつふと空を見上げると、黒い空から何か白いものが降ってくる、それも大量に!! 二尺の玉皮だ!! 自分たちの後方の国道にまでひらひらはらはらと玉皮が落ちてきて、自分と同行の友人が必死になって拾う。
尺玉の時は何も落ちてきていなかったのから、この時降ってきた玉皮はほぼ100%二尺のもの!!
とんでもない、お土産をたくさん拾って、帰路についた。
打ち上げ担当の小千谷煙火さん及び、小千谷市の皆さん、ありがとうございました。
来年は夏の花火も普通に見られるといいなぁ(多分、来年は大曲とは被らないような気がする。例年通りなら赤川と被る可能性はあるけれど…)。