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サフラン酒鏝絵と川口花火

2015-07-29 22:32:00 | 花火

▲川口まつりの花火より。5号の往復色変化

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 さて、順番が逆になるが、柏崎の前日の土曜日は、地元密着であった。
 昼前に小千谷に到着し、実家に荷物を置いた後、長岡の摂田屋へ。JR宮内駅の南東エリアにある、醸造の町である。県内で一番歴史のある酒蔵やしょうゆ蔵など、趣ある町並みが残っている。
 今回は、「機那サフラン酒本舗」が目的。サフラン酒とはいわゆる薬草酒で、これによって明治時代には膨大な財を成していたという。その財を惜しみなく投じた建物が見学できるようになっている。ここの目玉は鏝絵。江戸後期から明治大正にかけて、日本の左官職人はごく普通の技量として鏝絵を蔵などに施していたという。
 有名どころでは、「伊豆の長八」がいるが、新潟にもそういう左官職人がいた。ちなみに新潟は明治時代は江戸よりも人口が多く、日本一どころか世界一栄えていた地域である。
 そして、このサフラン酒本舗の鏝絵を手掛けたのは「河上伊吉」いう職人。長八と同じく、ひとりの「職人」だったためその人となりの詳細は残されていないらしい。

 門を入って、というか門の外からもその鏝絵を望める。


▲白い壁やなまこ壁に鮮やかな鏝絵が映える。


 鏝絵は、上っ面だけ色を付けたわけではなく、漆喰に色を練り込んでいるため年月による劣化が少なく今も鮮やかな色合いを保っている。


▲下から蔵を見上げる。当主である吉澤家を表す「吉」マークが認められる


▲サイドの蔵の窓にもさまざまな鏝絵が施されている


▲鏝絵の一覧。



▲羊の鏝絵は非常に珍しい…というか、これヤギだろ? まぁ、十二支的には未ってことだ


▲もう一つの蔵「衣装蔵」は二度の地震の影響を受け、土壁がむき出しになっている。下部のトタンも当時としては最新の素材だったようで、吉澤家の財力がうかがえる


▲主に週末を中心に屋敷の方も見学できる。2階から庭を見下ろす。


▲窓ガラスを押さえる木の細工も細かく統一されていて、職人の仕事を感じさせる


▲緻密な組子の障子。伝統的な文様をいくつも組み合わせている


▲巨大な鬼瓦にも龍だか獅子だかの鏝絵が施されていたようだ

 今から20年ぐらい前は、子供たちはここの庭に入って、遊んでいたらしい。そのころは蔵はしっかりとしていたらしい。2004年の新潟県中越地震、2006年の新潟県中越沖地震と立て続けに発生した二度の地震がこの建物を痛めてしまった。登録有形文化財となった現在は、地元の方を中心に保存活動が行われている。


 なお、今週末、8月1、2日も内部公開が予定されている。長岡花火のついでに一見の価値ありである。サフラン酒も販売されている(母曰く、においがきついらしいが、かつて養命酒と覇権を争ったというその効能は興味ある)
 詳細はFBで… https://www.facebook.com/nnn.settaya 公開日には地元のボランティアスタッフが案内してくださる

 ちなみに、小千谷の新潟銘醸は、この機那サフラン酒の流れである。




▲お向かいの吉乃川から全体を望む


 機那サフラン酒本舗のお向かいは吉野川。こちらの瓢亭という見学施設も公開していたので、ついでに立ち寄る。吉野川をいくつも試飲させていただき、「三尺玉」を買って帰る。吉乃川は長岡の三尺玉のスポンサーである(8月2日分)


▲吉乃川のツタで覆われつくした倉庫



 夜は、隣町の川口へ。
 川口は父の実家のある町である。伯父が駅裏の高台に家を構えている。子供のころは父に連れられてよく行ったものである。その家からは川口まつりの花火が正面に見えていた。
 多分、昔はお盆の辺りに祭りをやっていたんじゃなかったかな。

 小千谷の家からも尺玉は意外な大きさで見える。
 ちゃんと見るのはこれも40年ぶりぐらいか…。
 

 20時開始ということで、また一家総出で車で出かける。途中、末の姪が泣きすぎて大リバースをしてしまったが故、早々に私が放り出される。まぁ、見ようと思っていたところの近くなので問題ない。
 明かりの無い農道を通って、クモの巣と3回ぐらい格闘して土手に上がる。

 誰もいない…。

 まぁ、メインの観覧場所は駅からまっすぐ行った辺りだからな。でも打ち上げ場所は信濃川と魚野川の合流ポイント辺りにあるようなので、あえてこの土手を選んだのだ。ちゃんと立ち入り禁止区外なのは確認済み。そこに一人三脚を立てて時を待つ。
 こう人気がないと蚊の来襲もない。虫もやってこない。半月の柔らかな明かりの下、川のたてる水音と、虫の音と背後の車の音だけが時を刻む。

 20時を迎えて、遠くからアナウンスがうっすら聞こえる。
 そして打ち上げ開始。


▲10号の冠菊が月にかかる


 うわぁ! 近っ!!!

 ちゃんとここ保安距離の外側のはずなんだが、想像以上の迫力で引き先が降ってくるよう。花火の明かりすべてを私一人で受けている状態。
 このままでは花火が入りきらんと、三脚を抱えてズルズルズルズル後退する。



▲染め分けだが、バランス悪し



▲八方芯レモン

 スポンサー花火中心らしく、一プログラムごとにアナウンスが入る。そのほとんどが小千谷って聞こえるのだが、ここ長岡市川口町だよな…。
 「小千谷 ●●(スポンサー名) 7号(とか10号とか)」と読み上げてからの打ち上げという、のんびりとした展開。その間に煙もはけていい感じ。


 スタマの小型煙火を除くと、打ち上げ花火は5号7号10号の三種類。段打ちも同じものが上がったり、趣の異なるものが上がったり…。



▲5号と7号


▲5号7号10号の三段打ち


 本当は川面の反射を入れようと思ったのだが、多分入るだろうと思った辺りまで行く気になれず、あまりその部分は工夫できず。というか、1発1発、ただ私一人を包み込む花火の光にくぎ付け状態なのだよ。
 花火明かりでできる私の影が、ふわっと消えていくと魔法がとけるというのか…。



▲ぐぉーっと開放して魚野川の反射を取り込んでみる



▲3回に1回ぐらいは冠菊が上がる



▲端正な冠菊は、本当に美しい



 新潟だからやけに錦冠が多いのだけど、それも風の影響をあまり受けない状況下だと端正で美しい。ゆったりとのびやかに夜空に刻む錦色のしなやかなラインは、スローモーションのように網膜に刻まれ、記憶に残る。花火から放たれる金色の光が自分を包み、強力でもどこかそっと体を突き抜ける衝撃波までもが愛おしい。

 技術が進んだ現在では、冠菊はあまり評価されないかもしないけれど、あれはやはり日本の花火の様式美だと思うよ。



▲フィナーレのエピセンタ(震央)


▲フィナーレ

 ココ、筒の配置と観覧席が斜めに設定されているのはこのエピセンタのためのようだ。尺と観覧席の間に小型煙火を置くために、斜め構図で見るという前提になっている。私のいた場所は逆斜め位置なので、まったくこれらが重ならない。まぁ、初めから分かっていたことなんだけどね。

 川口町は、新潟県中越地震の際の震央の真上にある町。震度7を記録し、町の中心部も周辺部も大きな被害を受けた。それを忘れないために、この花火を上げる。
 昔はただのお盆花火だったのに、意味合いが変わってしまった。


 21:08に終了。花火は21:30までってどこかに書いてあったから、21時台の電車はあきらめていたのだが、20分も早く終了となると話が違う。あわてて片付けて駅に向かうが、何しろ駅から離れた場所取りだったため、タッチの差で電車を逃す。そのまま祭りの終わった人気のない町で1時間電車を待って実家に戻った。

 次は中心部で見るよ…。

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