今度は孫悟空です。
孫 悟空 西遊記の主要登場の一人である上仙。今も崇拝される道教の神でもあり、香港をはじめ、台湾や東南アジアでは一般に斉天大聖の号で呼ばれ、信仰されている。彼は中国の民間信仰のなかで最も活躍するの英雄の一人である。何故か武林の門派でも始祖に祭り上げられて事があります。別名は孫行者。時代背景は唐の太宗の時ですが元代の『西遊記』(最古とされる)のあらすじを収録した朝鮮の書『朴通事諺解』(1677年)には孫吾空の記載があります。
『西遊記』の雑劇などの書作品での通称は猴行者、あるいは通天大聖などさまざまな名前で呼ばれているが、今は孫行者の名に落ち着いています。日本でよく知られた孫悟空は「いみな」であり避諱により当時の中国では一般には使用されない。
避諱 中国では古来、親や主君などの目上に当たる者の諱(本名)を呼ぶことは極めて無礼なことと考えられていた
物語は、昔々東勝身州須弥山にある傲来国の沖合にうかぶ火山島、花果山の頂に一塊の仙石がありまして、この石が割れて卵を産み、卵は風にさらされて一匹の石猿が孵った。
この石猿は、島に住む猿たちが、誰かが谷川の水源を見つけたら王様にするというので、勇を振るって滝壺に飛び込み、水簾洞という住み処を見つけてきたので、約束どおり猿たちに崇められ美猴王と名乗ることになりました。
数百年経ったある日、限りある命にはかなさを感じたことから不老不死の術を求めて旅に出て、十年以上かけて西牛賀洲に住む
須菩提祖師という仙人を探し出して弟子入りした。祖師は、姓を持たぬという美猴王に孫という姓を与え、孫悟空の法名を授ける。7年後、兄弟子を差し置いて、念願の長寿の妙道を密かに教わり、さらに3年後に地煞数という七十二般の変化の術を自然に悉く体得してしまった。さらに觔斗雲法も教わって自在に空の雲に乗れるようになる。ところが、他の弟子に術を見せびらかしたことから、祖師の怒りを買い故郷に帰るように命じられた。
花果山に帰郷すると、混世魔王という化け物が水簾洞を荒らしていたので身外身の術で退治したが、これをきっかけに傲来国に出かけて大量の武器を強奪して配下の猿たちに配って守りを固めさせ、配下の猿を軍隊にまとめ上げた。そうすると自分の武器も手に入れたくなり、海中の東海竜王敖廣の宮殿である龍宮にいき、悟空の意によって自在に伸縮する如意金箍棒を無理矢理譲ってもらう。さらに「三件回るより一軒でねばれ」と長く居すわって残りの三海の竜王たちからも武具を要求し、金の冠、金の鎧、歩雲履の防具一式を持ってこさせた。 牛魔王を含む6大魔王[13]の妖仙と義兄弟となり、宴席で酔いつぶれていると、幽冥界から使いが2人きて魂を連れ去り、「寿命が尽きた」という。しかしそんなはずはないと抗弁して暴れ、閻魔帳を持ってこさせると、なるほど孫悟空の寿命が342歳とあるので、自分の名を墨で塗りつぶし、ついでに気に入ってる仲間の猿の名前もいくつか消した。もうお前らの厄介にはならんと冥界十王を殴って帰ってきたところで、目が覚めたが、以後、悟空以外の山猿にも不老のものがふえたという。
六代魔王=蛟魔王、鵬魔王、獅駝王、獼猴王、𤟹狨王を加えた7兄弟は、七大聖と呼ばれ、牛魔王が長兄。
大鬧天宮
こうして死籍を消すに至ったことから、天界からも危険視される存在になった。天上界の主宰者、天帝(玉帝)は石猿を討伐しようとするが、太白金星の意見で思い直し、官吏として天界に召すことで懐柔することにした。悟空は、天界の使者に喜び、弼馬温(馬の世話係)に任命されたが、半月後にその身分が低いと知ってへそを曲げ、不意に脱走してしまう。地上ではすでに十数年経っていたが、帰還した美猴王を神としてかしずく猿たちに囲まれて気分がいいところに、独角鬼王という妖怪が訪ねてきて臣下となり、さらに褒めそやして煽てたので、有頂天になった悟空は斉天大聖(天と同格)と自ら号するようになった。これを聞いた天帝は身の程知らずの石猿だと怒り、托塔李天王を大将にする討伐軍に派遣したが、先鋒の巨霊神と哪吨太子が敗れて歯が立たないと、悟空の神通力に恐れをなして退却した。
力で抑えるのが難しいとわかると、再び太白の意見で懐柔策をとることになり、二度目は悟空の希望通りの待遇とすることにして、新官職「斉天大聖」が創設され、正式に任命された。これは職務のない名目だけの官職であった。これでしばらくは悟空も満足していたが、天界では暇をもてあましていたので、新たに蟠桃園の管理を任されることになる。ところが、不老は悟空の最も好むところであり、栽培されている仙桃が熟れるのを待って食べ尽くした。そこに美しい仙女たちが桃を摘みに来て宴会が催されるというので、悟空は仙女たちが歓談する宴席に忍び込んで酒番を眠らせ、仙酒仙肴を食べ荒らし、さらに酔ったはずみで兜率天宮に迷い込んだので、ついでに太上老君の金丹の全部を頬張って、再び天界を逃げ出した。
悟空が戻ると地上では百年経過していた。天帝は烈火のごとく怒り、天兵10万を派遣して包囲し、諸将を総動員して攻めかからせた。悟空の側は、七十二洞の妖怪たちと独角鬼王は生け捕られたが、猿たちはすべて逃げ延び、悟空は哪吒太子と四大天王、恵岸を打ち負かした。ところが恵岸がその師である観音菩薩に苦戦を報告したところ、菩薩は天帝に顕聖・二郎真を推薦する。門番は五月の節句で有名な「鐘馗様」だよ。玉帝の弟君。
二郎真君は梅山の六兄弟と共に悟空を遂に追い詰め、太上老君の投げた金剛托(こんごうたく)で悟空が脳天を打たれてふらふらのところを捕まえた。
天帝は、悟空を斬妖台に引きだして八つ裂きの刑にするが、悟空は仙丹の力で無敵の体となっていたので刀も斧も歯が立たず、火すら効果がなかった。最終手段として太上老君の秘法八卦炉の前に差し出し押し込めて熔かそうとするも、火の回らない巽の隅に退避して無事を得る(代わりにいぶされて目が真っ赤「火眼金睛」(あかめ)となった)。もう焼き尽くされたかと炉を開けると、勢い八卦炉から飛び出し、大暴れしてもう手が付けられない状態になった。悟空が怖ろしくなった天帝は、雷音寺の釈迦如来に助けを求めることになる。如来は悟空に身の程をわきまえさせるために賭けを持ちかけ、如来の手のひらから飛び出せなかった悟空を取り押さえて、五行山に五百年間封印してしまった。と此処で針外しの話はおしまいね。全部書いたら本を破って貼り付けた方が早いからだ。読者の皆さんは如来の指で出来た五行山から三蔵が悟空を助け出す処から見ているひとが多いよね。天界で大暴れする処は結構飛ばしてしまっている。