コロナで3回も熊野さんのお祭りが(神社のお祭りは行われました)中止にになりましたので町は死んだように活気がなくなってしまいました。如何にお祭りは街の生活に密着していたかが分かりますよね。
我が町、東麻布、(飯倉三四丁目、飯倉五丁目、森元、初音においても主要人物が何人かが亡くなってしまいました。初音の斎藤秀ちゃん、森元の渋谷さん、三四丁目の江口君、三社から毎年来てくれていた佐々木の親方、この3年の月日は目には見えませんが裏では大きく変化していたんですね。飯五の神輿もこの方々のご尽力の賜物であったのは言うまでもありません。かえすがえすも残念でたまりません。改めまして此処に、ご逝去された方々のご冥福をお祈りします。
今年の祭りは待ちに待ったお祭りです。お祭りというのは、神輿が出る時になると何処にこんな人がいたんだとびっくりするほど出てきます。待ちに待っていたんだね。もう神輿担ぎたくてうずうずしているのが手に取るように分かるぞ。俄かに担ぐ奴らは自分勝手に鼻に入ったり声を出したりするんで神輿が揃わない、勢いが出ない、品格が出ないね。そのへ来ると三社に出入りしている小池君、久幸ちゃんが(名前を出さないで言われるんですけど、針の親父とすれば出したくてしょうがないんですよね)鼻の抑えに入ると俄然神輿が変わるね。担ぎ屋さん達は飯五の師匠ですからね。怒られたって知らん顔だぜ。
今年は宮神輿にも来てくれて全町会をまとめてくれたんですが皆いい感じになってきました。それでも、「下手だね。飯五が別物」だなんて言ってくれてます。(身贔屓じゃないよ。)特に針外しが芝公園でナンパして神輿を担がせているオネイさんの事を大層気に入って褒めてくれたので針の親父としましては鼻が高いというもんです。熊野さんのお祭りのいい処は各自がいろいろ趣向を凝らして「どうしたら盛り上がるか!?」と考えていることですね。
これは神社の宮司さんにしても毎年色々格式ある出発式を考えている事だ。神主さんを筆頭に、何という結束力だ。輪が強いね。(出発式に久幸ちゃんが佐々木さんの写真を額に入れて持ってきたので一緒に参列しました。)
針外しも今回はわざとは他所の町会の奴らを掴まえて「お前ら飯五の神輿に負けんじゃねーぞ」と発破をかけまくります。「おー、頑張ります。負けねーよ」。 で終わると「おー、お前、いい担ぎっぷりだったぞ」と褒めてやります。
爆音の針の親父は「糞爺」(くそじじい)ですからこんな事しか出来まヘン。ま微々たるもんでも重なればおおきくなりますもんね。
皆いい笑顔だ。
皆良い担ぎっぷりです。小池君に褒められたので針も鼻が高いぞ。
コロナが流行って一ついいと思った事は、毎年の例大祭がこの盛り上がりをステップにやるようになることだと思う。この盛り上がりを基本にして来年はもっと飛躍の祭りになる事だろうよ。