高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

神棚

2008-01-08 21:31:22 | 主義・主張
ある日、MKG曰く・・・
「たかぎさぁ~ん、日本人は祈りを忘れたね。これはいかんね。」
「祈る事は大切なことであることを見せなきゃあいけない」

それにしては、クリスマス(これは祈るというよりお願いか・・・)、神社への初詣と年末になると日本人は突然祈り(これも祈るというよりは頼むか・・)ますね。とりあえず元に戻して・・というリセットなのでしょうね。

しかしながら、「祈る」とは、願うとか頼むとは明らかに違う。自他共栄・共幸に対する強い「願(がん)」だと思います。私のことが世界のことであり、世界のことが私・・・

宮澤賢治が、
 「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉を残しました。「自他共栄・共幸」と同じ意味合いを感じます。しかし賢治は、それは一方では求道し続けるものであるとも説いています。

 「永久の未完成これ完成である

私の座右の銘です。
「自他共栄・共幸」を求める道は、永久に未完成なものであるかもしれません。しかし、それは堂々巡りではありません。何かに到達すると次の課題が見えてきて、その課題解決に当たる・・・その解決がつくと・・更にまた課題が・・・つまり、スパイラルを回り続けることのなるのです。

このスパイラル型人生を歩むには、いろいろな種類のエネルギーや潤滑油の注入が必要です。中でも重要なエネルギー源になり得るのは、「祈る」ことです。

MKGの言葉には深く賛同する次第です。
本物の神棚を買おうと思ったのですが、それはやめて、我机の周りを整理して、私風の神棚を作りました。写真の左の棚であります。できるだけシンプルに大切なものを並べました。
 
てっぺんには、忍昭和尚に書して頂いた我名「晴光」の銘が入った額と これ何の一部なんだろう・・海で拾ったハートのマークが入った建材石のかけら

上段には、各地の大地から拾ってきた石やら木っ端、貝殻などなど

中段には、今年の手帳のみ

下段には、私の生き方、仕事の仕方に影響を与えている、あるいは読んではいないが与えそうなここ2,3年の本。

左に目をやるごとに・・
自他共栄・共幸を祈る のであります。

15年ほど前・・
「私、祈る事ができないんです・・」と悩みを知り合ったアイヌのリーダーに話したら・・、
「うそでもいいから、祈れ・・そのうち本物になるから」
と教えてくれました。 
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする