高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

タンボジー研修所 (ミャンマーの旅)

2008-03-12 22:47:34 | コラム風味

TPA(地球市民の会)のミャンマープロジェクトの拠点は、ヤンゴンから飛行機で北に1時間余りのヘーホーへ、さらにサスペンションの効かない車に見事に揺られて1時間ほどいった山合いにありました。その名は、タンボジー研修センター。

現在は、乾季と雨季との間、暑期と言われる一年で一番暑い時期です。低地のヤンゴンでは35度にもなりますが、この地は標高が高く夏の避暑地といった快適な気候です。しかし、緑はあまりぱっとしません。草木はけっこう枯れている、つまり冬でもあり、落葉樹もあるのです。なんで、一年で一番暑いのに冬でもあるんだ??? わけわからん・・・

このセンターでのプロジェクトは、循環型農業を展開する実験農場、大学受験資格試験に合格を目指す僻地の貧しい子ども達の学習支援が大きな柱となっています。近くの中都市にゆくと、マーケットには生鮮野菜や魚が豊富にあります。一日1ドルの生活であっても、食糧は自給自足をし、意外と手に入ることができます。「アジアには飢えが少ない」と言われています。 しかし、農業技術は昔のままで、ましてやこの地でも、グローバル経済化の波は農薬の多用の危険性を高め、土地の荒廃が心配されています。

   

そこで、これまで地元農民が目を向けなかった堆肥づくり、有機農業に取り組んでいます。鶏や豚も飼育しています。その作業をするのは、寄宿の高校生16人。周辺の村から親元を離れて集まり共同生活を送っています。センターには、学校の先生を辞めて子ども達の面倒を見る現地人スタッフや日本人研修生も常勤しています。ねおすにも、学校の先生からスタッフになった人がいますねえ・・・。

農作業をし、高校に通い、受験を目指す若者達のまなざしは真剣そのものでした。大人になったら、「医者になりたい」「地域の農業リーダーになりたい」「教師になりたい」その目標は、とてつもなく明確で、彼等の真剣さ、モチベーションの強さがヒシヒシと伝わりました。

 

地域の気候風土に合った新しい農法の試行錯誤、鶏も豚も一度に数多く飼うノウハウすらまだない・・、換金作物の多角化、そして、子ども達の学習支援など・・、エコツアーを実践できるほど観光客はいませんが、つまるところ、私から見ると、山村の山村留学。ミャンマーの自然学校と言ってもおかしくない活動なわけです。



現在は、各種助成金によって運営が成り立ち、食糧は自給自足なのですが、将来は近辺に現れて来た外国人向けのホテルなどへ有機生鮮野菜の出荷を行い、自主運営の道を模索しているのです。

この研修センターには毎年、鹿児島大学の学生も単位実習で来ているそうです。

このプロジェクトを指揮するO氏から、あふれるように次から次と熱い「思い」が語られ、それらをたっぷりと知ることができました。こんな強い意志と行動力があるからこそ、続けられるのだなと感心しました。日本のNGOの地道な草の根活動の一端を知ることができたことは、私にとって大収穫でした。

***
同行者であるI先生からの教えも強烈だった・・・。
「循環農業を志すのであれば、F1種子を使うのではなく、その地にあった野菜を作り種取りをすべきだ」
「今、東南アジアは、野菜種子のF1育成の地となっている。日本で売られている種子のほとんども日本以外で作られている」

品種改良が続けられたF1からは、次世代に有効なタネが取れない・・。
ということは・・・日本の真の自給率はもっと低いのだ!!!

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チャット (ミャンマーの旅)

2008-03-12 21:44:30 | コラム風味

どうも前後関係が思い出せない・・うううん・・・・と

確か6日の夜にヤンゴン国際空港に到着。 さすが、東南アジアの空港。誰が空港職員で、誰がポーターで、誰が出迎えなのか分からないような混沌とした人間の喧騒は、まさしくアジア。
しかし、若ければ別ですが、この勢いある人々の坩堝(るつぼ)の中で一人旅することは、もうこの歳になるとできそうにもないなあ・・と、しばし感慨に耽る・・。

空港では、現地ガイドのオンマーさんが私達をつかまえてくれました。ミャンマーで数少ない日本語ガイドの資格を持つ、小柄で良く笑う人懐っこい、かわいい女性でした。同じモンゴロイドなので、日本人と見分けのつかないミャンマー人はたくさんいます。

宿は空港のすぐまん前のシーズンズホテル。 さっそく両替。1万円もあれば十分とのことで、現地通貨しめて、105,000チャットと交換。これが大金なのかどうか・・よくわからない・・。夜は、懇親をかねて、生ぬるい空気の暗いホテルの食堂で、これまた生ぬるいビールで乾杯。現地のビンビール ホテルで3000チャット。日本の缶ビール並みなり。

のちのち分かってきたのですが、この国の日給は約1000チャット=100円=1ドルというのが相場でした。公務員も一般職は月30,000チャット。タバコを作っている田舎の作業場へゆきましたが、そこに働く12,3歳の女の子が、一本のタバコを巻くと1チャット。一日千本作ると言ってました・・・。 年収360ドルの国・・・ほんとのようでした。

1万円は、ご覧のように大金となりました。
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ミャンマーの旅 発端

2008-03-12 21:07:51 | コラム風味

そもそも、ミャンマーに行く事になったのは、九州の同志Y氏の誘いでした。これまでも何度か、彼から海外スタディツアーの誘いを受けていましたが、ミャンマーという国の不思議な響きに今回はすぐに反応してしまいました。 というよりも、酔った時に出た話しの勢いというか・・・

主催は彼が役員をつとめるNPO、佐賀県の地球市民の会(http://tpa.nk-i.net/)でした。NPOというよりもNGOと言った方がその性格を現しています。というのも日本ではNGO(Non Goverment Organization・非政府系組織)というと主に海外活動をしている民間市民組織をさすようです。今回は、彼等の活動そのものを知りたいという動機も強くありました。
メンバーは、私以外は同会のスタッフ、関係者。小学2年生、高校1年生も加わった一行8名でした。

ミャンマーは、昨年の民主化デモに政府軍が武力行使の鎮圧をはかり、日本人の写真家が亡くなられたのは記憶に新しいかと思います。軍事政府は流れ弾に当たったとの主張を変えていませんが、実は至近距離から止(とど)めの銃撃を受けたことは、他の写真家が偶然撮った最期の写真で明らかになっています。また、民政移行のための憲法を改正する、そして選挙を実施すると政府が言っていますが、改正憲法案は国民に広く提示されているわけではありません。消息筋によると、議員の多くが軍から氏名される、大統領には軍事に見識がある者がなる、など軍事政権の色彩を強く残すものだと伝えられています。今朝の新聞にあるように、国連の選挙監視団の派遣を拒否し、アウンサンスーチーさんの立候補もできないような制度となっています。

このような時期ですから、渡航実績のない者、旅行会社経由でない観光ビザの発給は、政府も慎重になっています。私も大使館から職業を聞かれ、ホームページのチェックも受けていました。ブログで政府批判などを書いていたら、まずはビザは出なかったでしょう。連日大使館に電話をし、出国ギリギリにパスポートが戻ってきました。

首都は、ヤンゴンから最近、ネーピードーに移され、外国人は簡単には入れないような軍事政権都市を形作っています。 面積は67万8500平方キロ、人口は5300万人(04年統計)、135の民族が暮らす仏教の国です。

ミャンマー それは遠い国でした・・・。 そして、私が知らなかった人々の暮らしがあり、日本のNGOの熱い思いが展開されていた地でした。

勢いで決めた旅でした・・・ビザ発給が難しそうで半場あきらた旅でした・・・
しかし、行って来て よかった。

私の人生観にかなり影響を与えた旅となりました。
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