この日もサスペンションが効かなくなったポンコツな小型バスに、揺られ揺られての移動。眠たくなっても眠れない・・
今回の旅の全行程がどうもよく分からない・・。良く分からないのだけれども、他人に身を任せて連れて行かれるままの旅先では、いつも刺激がありました。今日もパゴダ(お寺)に行くものだとてっきり思っていたのですが、途中立ち寄ったナウンシー(と私には聞こえた・・)のデモファームは、今回の旅で最も忘れられない場所となりました。
そこは、赤茶けた土の高台にある10軒の集落でした。この国の田舎の農家や漁師の家は、全て竹を資材として作られています。それは、大風が吹いたらすっ飛ぶだろうと心配になる程の小屋なのですが、この国は雨は降るが暴風とはならないとのこと。だから、土台もないような、風が吹き抜けるような家でも大丈夫なのでしょう。



このデモファームの家も同様でした。NGOがサポートし、これまで小作農で土地を持たなかった農民を募り、貸付もし入植させているのです。しかし、土地は痩せているように見えました。森らしき森、林もありません・・・しかも、高台なので風も吹きます。事実、昨年は竜巻に襲われ、7軒が吹っ飛んだとのこと。そんな過酷な場所でした。 竜巻など初めてだと近くの村の長老が驚いたそうなので、ここでも気候変動の影響が出ているのでしょう。
他に土地がなかったとは言え、この支援方法は「正しいのだろうか?」と思ってしまった。まさしく開拓第一世代の10家族のこれからの苦労は並大抵のことではないだろうとは想像することはできても、ぬくぬくと生きてきた私には、その辛さ、哀しさまでを体感的に共感することができない・・・・。
風があるおかげで、NGOが提供した風力発電機により電灯は不自由がないようでした。その発電所でもある集落の集会所で、NGOよりプロジェクトの説明がありました。 その後ろに住民達が集まって来ましたが、パーヌエ村の人々にあった活力を感じることができませんでした・・。 パーヌエ村は電気が来たばかりでしたが、集落に学校もあり、食糧も豊かで、生活に余裕が感じられましたが、このデモファームは、食と住環境、つまり人間の初源的な欲求が満たされていない段階なのかもしれません。
しかし、リーダー格の男の強く深い眼光が印象に残りました。その光の底に・・かすかではあるけれど、熱い希望があるようでした。
「開拓は三代かかるもの・・それで報われるか、どうか・・・」
同行した農学部の先生がつぶやくように言いました。
ついに・・、日本の海外支援に疑問が沸いてきました。
ODAで物凄い額、何億、何百億、さらにはもっと・・・が開発途上国に注ぎ込まれていますが、そのお金は、本当に必要な人々にはなかなか届いてはいないという事実・・・。 ミャンマーの国際空港も立派になりました。それは、もしかすると日本のODAであるかもしれません。 その巨大な建設コストは・・・その国の権力者と拠出側の関係者に流れているのが世の常でしょう。
本当に地域に必要なお金は百万円、何十万円の単位なのです。 各地にしっかりとしみこむ様に資金が使われていない。
草の根NGOと政府系海外支援の「違い」が実感できた日となりました。