高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

デモファーム (ミャンマーの旅)

2008-03-23 22:30:47 | コラム風味
 
この日もサスペンションが効かなくなったポンコツな小型バスに、揺られ揺られての移動。眠たくなっても眠れない・・

今回の旅の全行程がどうもよく分からない・・。良く分からないのだけれども、他人に身を任せて連れて行かれるままの旅先では、いつも刺激がありました。今日もパゴダ(お寺)に行くものだとてっきり思っていたのですが、途中立ち寄ったナウンシー(と私には聞こえた・・)のデモファームは、今回の旅で最も忘れられない場所となりました。

そこは、赤茶けた土の高台にある10軒の集落でした。この国の田舎の農家や漁師の家は、全て竹を資材として作られています。それは、大風が吹いたらすっ飛ぶだろうと心配になる程の小屋なのですが、この国は雨は降るが暴風とはならないとのこと。だから、土台もないような、風が吹き抜けるような家でも大丈夫なのでしょう。

   

このデモファームの家も同様でした。NGOがサポートし、これまで小作農で土地を持たなかった農民を募り、貸付もし入植させているのです。しかし、土地は痩せているように見えました。森らしき森、林もありません・・・しかも、高台なので風も吹きます。事実、昨年は竜巻に襲われ、7軒が吹っ飛んだとのこと。そんな過酷な場所でした。 竜巻など初めてだと近くの村の長老が驚いたそうなので、ここでも気候変動の影響が出ているのでしょう。

他に土地がなかったとは言え、この支援方法は「正しいのだろうか?」と思ってしまった。まさしく開拓第一世代の10家族のこれからの苦労は並大抵のことではないだろうとは想像することはできても、ぬくぬくと生きてきた私には、その辛さ、哀しさまでを体感的に共感することができない・・・・。

風があるおかげで、NGOが提供した風力発電機により電灯は不自由がないようでした。その発電所でもある集落の集会所で、NGOよりプロジェクトの説明がありました。 その後ろに住民達が集まって来ましたが、パーヌエ村の人々にあった活力を感じることができませんでした・・。 パーヌエ村は電気が来たばかりでしたが、集落に学校もあり、食糧も豊かで、生活に余裕が感じられましたが、このデモファームは、食と住環境、つまり人間の初源的な欲求が満たされていない段階なのかもしれません。

しかし、リーダー格の男の強く深い眼光が印象に残りました。その光の底に・・かすかではあるけれど、熱い希望があるようでした。

「開拓は三代かかるもの・・それで報われるか、どうか・・・」
同行した農学部の先生がつぶやくように言いました。

ついに・・、日本の海外支援に疑問が沸いてきました。
ODAで物凄い額、何億、何百億、さらにはもっと・・・が開発途上国に注ぎ込まれていますが、そのお金は、本当に必要な人々にはなかなか届いてはいないという事実・・・。 ミャンマーの国際空港も立派になりました。それは、もしかすると日本のODAであるかもしれません。 その巨大な建設コストは・・・その国の権力者と拠出側の関係者に流れているのが世の常でしょう。

本当に地域に必要なお金は百万円、何十万円の単位なのです。 各地にしっかりとしみこむ様に資金が使われていない。

草の根NGOと政府系海外支援の「違い」が実感できた日となりました。
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ナンカ研修センター (ミャンマーの旅)

2008-03-23 18:32:11 | コラム風味

あれから・・私の日常生活に戻り、あたふたと私の現実の中で生きています。でも、あのミャンマーの人々もやはり、自分達の日常生活と現実に生きているかと思うと、不思議な気持ちになります。自分の気持ちをとどめておくためにも書き綴ります・・。

◆ ナンカ研修センター
ここは、この旅の始めに訪れたダンボジー研修所よりレベルの高い応用編の農業を実践しています。観光地でもあるインレー湖周辺には、海外資本のリゾート(風)ホテルが現れていますが、そこへ有機野菜、例えばレタスなどを出荷しようと土地改良や地にあった品種の選択などを試行錯誤しているようでした。これは、少数民族ポーの生活支援でもあります。

遠くの村からも短期的に研修生が宿泊滞在できるように、ツインのベッドルームも複数ありました。ここにも鹿児島大学の学生が毎年やってくるそうです。

  

農地は、写真でもお分かりのように、かなり赤茶けています。レンガの粉かと思うくらいに明るい茶色をしています。堆肥を作ることを地元農民はしないらしく、まずは土作りからといった初期農法の段階に見えました。

この地のポー族の指導者・ウアンカムティは、支援をするNGO・地球市民の会に次のように話したそうです。

「自分の手で食べます。食べ方を忘れてしまうような支援はやめてください。」
「自分達で立ち上がろうとしている人を援助して欲しい」

地道な援助活動を展開する 草の根NGOに敬服です。 


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お別れ会

2008-03-23 15:56:35 | 日記
山村留学生のご家族が次々と来校。今夜の自然学校の住人は、ご家族ゲスト7人、短期滞在のAKY、子どもと私達9人です。IDUは2年間の留学で今年卒業生、IKOは一年間留学で修了となります。春が来て・・夏が来て、秋が来て冬・・・そして、新しい春が来た・・・。 1年間を振り返る写真をピックアップするのに、いろいろと出来事を思い出しながら・・3時間もかけてしまいました。

夜、自然学校としての二人のお別れ会をしました。IDUのおばあちゃんが腕を振るって、たくさんのご馳走を作りました。担任の先生方、近所の方もおよびして、夜遅くまでの大宴会となりました。

子ども達は、歌を披露し・・なんとパープサートの劇まで準備していました。

                

明日・・卒業式です。
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