高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

ミラーバーン

2009-02-15 17:43:52 | 日記

午後4時くらいだったでしょうか、中頓別をMKGYMMUと○○○と出発。猛吹雪状態で、ひとりだったら、そこに突入するのは、きっとはばかれます・・・。 

MRKさんに電話すると・・
「あら、MKGYと毎日、楽しそうなご様子で、もう帰ってこないと思ってました」・・・・・と・・、

「いえいえ、MRKさんに会いたいです!!」

途中、美深付近は、ツルツルに凍った道路、ミラーバーンでありました。私たちは南下をしていましたが、その中を北上する車が列を連ねていました・・。 あ、今日は日曜日なんだな。旭川や名寄に買い物にいった道北の人々の帰路の列なんでしょうね。 みんなお出かけを、こんな冬の日にもするのですね。

ところで、昔の冬の除雪はいったいどうしていたのだろうと ぼんやりと疑問に思っていたのですが、今回の聞き取りで、一気にその疑問が解決しました。

「除雪なんて・・しねぇ!」
という、おじぃさんの一言でした。

移動手段は、場そりだったんですから・・、踏んだんですね。
道は高くなっていった。

黒松内でも、「道路の電線をまたぐくらいに雪が降った」と聞いていたのですが、いくら昔の電柱が低くても、そんなに豪雪だったのかと思ってたんですが・・、
つまるところ、踏み固められて道路が高くなっていたところに たくさんの雪が降ったわけなのだ・・。

「車が入るようになったら・・、どうしてたんですか?」
「冬は 車 うごかさねぇ」
あたぁ・・・ こえも当たり前の 回答でした。

考えてみれば、あたりまえですね。
家の前も・・・・。 玄関前から道路までも、雪ふみをしてむしろ高くしていた。それによって、玄関への吹き込みを防いでいたというわけです。冬は、除雪などは家の周りを少ししかしなかったのです。

ママさんダンプ(これは商品名ですが、人力で押し滑らせて大量の雪、非力な女の人でも作業がしやすい)の登場は、車の普及にともなっていたようです。

それにしても、ミラーバーンの発生って・・巨大スクレーパーで除雪と気温の関係が深いんじゃあないかなあ・・・。


****

23:50 黒松内着。 ほとんど吹雪の中・・・ やっとついた。 携帯から送ったブログ写真の内容は明日より・・徐々に打ち込みます。
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九十二歳

2009-02-15 16:38:30 | 日記

今日のお話は、兵安地区のお年寄り70代から90代までいらっしゃいました。
大正時代、中頓別に鉄道が敷設された時代に、そのまた山奥で開拓生活をしていたおじいさんたちです。

テーマは冬の暮らし・・だったのですが、いろいろとお話を聞きました。

「天秤棒に一斗缶ぶら下げて、冬でも、一日7,8回沢から水を運びあげていた。ある日、前後に二つずつぶら下げたときは、あれは、さすが、つらかった!」
「俵、一表かついだよ」
「でんぷん25kg背負って、浜までニンシン油と交換しに行った」
「電気が入って、10頭くらい搾乳していた時に、冬に10日くらい停電あってさ、あんときはたいへんだったなあ」
「夜、湧いていた鉄ビンのお湯が、朝になると 氷が盛り上がってかたまってた」
「冬に・・配給のマッチを・・・・間違って すべて燃やしちゃた」話・・

男たちは、冬は造材で山へ入ってましたから、冬の仕事の話が多くなります。
「造材飯場の天井は、(トド?)マツの枝だったよ」
「飯場の便所、大きい穴に板渡してあって、何人も一緒にやれるんだ。あれ嫌だった」
「凍らないように持っていた一升飯が、食っている先の方が、白く凍ってくる」
「おっかない喧嘩もあったよ」

何を着ていたのか、みんなでいろいろ聞くのですが、やはり郷土資料館に展示されている人形が来ている服装そのもの・・・それで寒くなかったのかと思うばかりのなのですが・・

「凍傷になるやつなんて、おらんかったなあ・・」
・・・
・・


何を思い出したのか・・
「俺にも いいたかないことも あんの・・」

春が来たなあ・・と思うことは?
しばらく考えて・・・・
「そんなこと・・、考えてなんていなかったなあ・・・」
それでも、思案して

「こおり橋が溶けて来たとき・・・」
「こおり橋・・・?」

水流に枝を放り込み、雪を入れつつ徐々に固まらせて 馬そりが通れる氷の橋を造ったのだそうです。 それが溶けてきて、通れなくなってきた時のことを話してくださいました。

今と比べてどう?

「苦労したなんて思ってないよ。あの時代、食べるものもあってさ、釣りにも行ったし、も一度やってもいいな」
と さらりと言われちゃうと・・

返す言葉がない・・とは こういう瞬間です。
「はぁ・・・・」とため息つくしか ありません・・・・

と、終始笑顔で、ユーモア交えて 応えてくださったKさん。
暮らす・・生きる・・ってことの 積み重ね・・ちがうなあ・・大切さ・・違うなあ・・・・。 人生を昇華する・・そんな感じかな。
 
時代はもちろん、ちがう時代を生きて、私も年寄りになりますが・・、
お手本にしたいものです。

むりだろうなあ・・・ でも 一歩でも 近づきたい と思いました。

「また、来てよ」
と いってくださった おじいさんたちでした。

聞き取り、地元学は、聞く方も、話す方も 頭が活性化し、健康的にもとてもいいものであるということも 再認識。




コメント (5)
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