かの亀井静香氏が「日本人は五寸釘を打たれても感じないほどに鈍感になってきた」と言ったそうだが、私もそう思う。
原発再稼働も集団的自衛権行使も、とてつもない曲がり角に日本は今立っている。しかし、世論としては総じて鈍感だ。
「経済成長がこのままではできない、安全保障が護れない」、だから国が「責任」をもって国家を護り成長させてゆくだけが、時の政権の大方針になっている。
日本人の精神構造は「集団的」だからかなり危ない状況に突入しつつあると思う。
NHK経営委員でもある百田氏原作の「永遠のゼロ」は本も映画もヒットしている。家族と国・・・、結局、国のためと死んでいった人々への哀悼というよりも、「国家観」の大切さをやんわりとだが確実にテーマ化している。 あの戦争では、死ななくてよかった軍人、民間人が何十万人と死んだのだ。 爆弾抱えて特攻をしかけ、力も尽きている民間人を空爆で、原子力爆弾で大量殺戮されたのだ。
それは、「美しい」ことではない。
現在の権力はちゃんと布石を打って国民をマインドコントロールしつつあると、アタシのような日本人は感じてしまう。
「国家主義観」が知らず知らずのうちに日本人に強まっている。 根底には経済発展、成長経済への不安があるのだろうか・・・。
ついこの間までは、集団的自衛権の行使は憲法9条を変えないとできないというのが、国是的解釈であった。しかし、安倍君はそれはとても困難なことだと改めて気がついた。 だから、政府の憲法解釈変更で可能にしようとしているのは事実だ。 私は戦中戦前の政治を知らない、これでも戦後の戦争を知らない世代だ。 戦争をしっている世代は70代80代になってしまた日本。
しかし、日本が破滅へと歩み始めたことは、歴史から知っている。 当時のように軍部が政治に影響を強く与えることは、今は(一応)ないが、軍隊をつくりたい自衛隊幕僚が政治家になり、東京都で60万票もの支持を得た。驚きだ。自衛隊を国防軍とした名実ともの軍隊へ強化しようとしている。敵国をすでに想定している。 日本は世界がどう言おうと、戦争をしないと宣言した国でなかったのか。
この時期に、百田氏がNHKの経営委員となり、経営委員長が白紙の辞任届けを経営委員に提出させた。 百田氏が書いた「永遠のゼロ」のTV広告が民法でガンガンと流れ、それを見た若者達が涙を流している。 家族・国民あっての国でない、結局、国家あっての国と家族の姿を描いている。 賛美とまではいかなくても、百田氏のテーマは戦争ができる国家観だと、あたしは思う。
軍部ではなく一国の行政府の最高責任者である総理大臣が、「普通に戦争もできる国」に徐々に変えている。 武器輸出三原則も緩和と言えないくらいに無きにしもあらずの体裁となった。
なぜなんのために・・の説明は曖昧だ。憲法を改正することが簡単ではないから、憲法解釈変更への作戦に安倍くんは変えた。「戦争に参加できる国」が普通の国だと言っている。
「国土強靭化計画」という名称も被災地復興の大義に紛れ込ませた。
強い国とは経済発展し続け武力もある国だ・・・それが国力だと考えているとしか思えない。 大国とはそういうもんだとお考えのようだ。
安倍君は、かなり復古調に戦前の日本に憧れて実行しようとしている。
この危機感を共有できる人が増えないとダメだ。