高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

冒険家

2019-11-27 09:53:30 | 日記

冒険家・探検家の故植村直己さんの記念館から定期的に催し物のご案内が届きます。 一度は訪れたいがまだその機会を作っていません・・・。

ヒマラヤのエベレストを含む世界五大陸の最高峰を制覇、北極にも足跡を残したが、アラスカマッキンレイの厳冬期単独登山で帰らぬ人となりました。それは、私が高校生の頃だっただろうか。 未踏の山やら巨大岩壁の初登を競い合っていた時代なので、長谷川恒男さんや岡田さんやら超一流のクライマー等も数多く亡くなる時代だった。 その報を知るごとに魂が震えるくらいに驚きと悲しみを感じたものだった。

直接の山登りの知り合いも、思い起こしてみると数々の友人が山で死んだ・・。 所属していた山岳会での死亡事故、大学学科の同期と高校山岳部の後輩が知床で遭難死したこともあったし・・・、昨日、一緒に酒を酌み交わした友人がその何日後に山で死んだこともあった・・・・。 私自身も雪崩に埋まったり、岩壁から墜落して大怪我をしたこともあった・・・。 植村さんのような偉大な冒険家ではなかったが、「死」を感じる山登りもしたことがあった。(死というよりも、ここで落ちたら、ここで雪崩にあったらという恐怖だな・・・) 

何かそこで、小さな判断ミスや気象・地形の変化を読み取れなかったら、足をかけた場所が脆かったら・・、私も死んでいたかもしれない・・・。

小さな岩の凹凸にアイゼンの爪の先をわずか、2,3mmかけて登っていた頃・・・、あれはどうしてだったんだろうか・・・。 もう折れるんじゃあないかと見えるような錆びたピンにロープを掛けて体重をあずけつつにじり登った岩壁・・・。その瞬間瞬間に「生きている」という自分の生命を感じていたんだろうなあ・・・。 それが面白かったんだろうなあ・・・。

冒険は・・、危険を冒す活動であり、探検は未知なことを探り巡検する活動なのだ。

今だからそこ、この歳になったからこそ、植村直己の遺したものたちにあってみたいものだ。その時、今の自分は何を感じるのだろうか・・・。

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