高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

アクティブラーニングの先にある目標

2018-07-03 16:40:45 | HARU語録

私の言葉ではないが書きとどめておこう。

平成26年(2014)11月に文部科学大臣より中央教育新議会に、「初等中等教育における教育課程の在り方について」の諮問が出され、「アクティブ・ラーニング」が取り上げられた。 一般にはまだまだ馴染みのない言葉だろうが、教育者にとっては、最旬課題である。

この諮問の背景として、「今の子どもたちやこれから誕生する子どもたちが成人して社会を担う頃には、日本は厳しい時代での兆戦をよぎなくされる」「少子高齢社会、生産人口の減少、グローバル化の進展、人口知能の技術発展等により、社会構造や雇用環境は現在に比べて大きく変化する、それにより将来の就労、職業のあり方も現在とは相当に様変わりすることが指摘されている」「成熟社会を迎えた我が国が個人と社会の豊かさを追求してゆくためには、一人一人の多様性を原動力とし、新たな価値を生み出してゆくことが必要になる」といったことが言われている。

「こうした変化を乗り越え、伝統や文化に立脚し、高い志や意欲を持つ自立した人間として、他者と協働しながら価値の創造に挑み、未来を切り開いていく力を身に付ける」ことが求められており、そのための教育のあり方も変化変容が求めらている。 このような背景をもって、「何を教えるか」のみならず、「どのように学ぶか」という、学びの質や深まりを重視することが求められている。アクティブラーニング「主体的、対話的で深い学び」はこの主旨に合った教育手法として注目を集めている。

それは、ここ20年来、自然体験活動やまちづくりなどで、おこなわれてきたワークショップのさまざまな手法と共通するものである、主体的に対話的に学ぶためには、それらをある程度トレーニングされてきた人々が参画しないと成し得ない。その点、現代の大人たちは画一的な教育を施されてきたので概して苦手であると思う。

「学び方を学ぶ」というスローガンは、ねおす活動の創設期からの根底にもともと有り、「自主自律した人材の育成」「自分の暮らしと仕事を創れるひと」づくりは大きな目標としてきた。 やっと、時代が我々においついて来たなあと思わぬこともない。

この先にあるのは、「複雑系」の価値認識とその受容であると思う。

いかにこの複雑多様な社会を生き抜いてゆくか・・・。 自分が実践、経験してきたことをベースにしながらも、これからも「我々の活動がいかにあるべきか」を考え続け、実践をしてゆきたい。

我が歩む道は間違ってはいない、と思う。

 

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