高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

楽しみです・・

2019-10-23 18:08:07 | 日記

10月23日

昨夜は、来道中の中国からの自然学校視察ツアーの最終日at 札幌だったので、行こうか迷ったのですが、一日おいて、明日からネパール旅行なので断念しました。

ネパールはトレッキング仕事ではありません。息子の結婚式です。昨年、ネパールの娘さんと結婚し、日本で婚姻届も出して、寿都神社で式は行いましたが、先方の親御さん、ご親族にお会いしてもいませんので、ネパールでもヒンズー式の結婚式を挙げることになりました。

ネパールは、私が母を亡くした二十歳の時に、始めて訪れて、8000m峰のダウラギリがそびえるカリガンダキという流域をトレッキングして、トレッツオ湖というチベット高原に含まれるような場所を目指したことがありました。結果としては湖には到達できながったのですが、ダウラギリの巨大な壁が目の前にある5000mを越えたことがありました。高山病で息があがり、4000m付近に降りて2泊山中キャンプをしたのです。

おふくろはくも膜下出血で8ヶ月あまり植物状態になり亡くなったのですが、その間は休学をして看病もしました(付き添って、タンを取ったり、下の世話もしました・・)。亡くなったのは1月でしたが、復学する気力も失せて虚無化し大学を辞めて就職するかとも思っていたのですが、時により行動が極端になるアタシは、気力を絞って、ネパールへ行こう!!と考えて、復学し、アルバイトに精を出して、その12月に初めての海外旅行の旅に出たのでありました。

山中の集落を辿りつつ往復1ヶ月のトレッキングでした。 その時、高峰に囲まれた地点でキャンプをしていた時に・・、はたと気づかれされました。 壮大な風景の中に置かれて・・、何を悩んでいるんだ、オレはこの地球で生きているんだ。なんとオレの悩みはちっぽけなんだ!と・・。 それで、ふっきれたのでした・・・。

山中の集落は、日本に比べて物質的には貧しいのですが、人々はいきいきとしていました。子どもの眼はキラキラと輝いていました・・・。 その後、自然体験の仕事をするようになり、トレッキングにゲストをアテンドしたこともありましたし、小学生の子どもと一緒に家族で行った(この時はカトマンズだけ)もありましたが・・・、それも数えてみると、もう30年も昔のことです・・・。 カトマンズのタメルの街も随分と変化してしまったでしょう・・・。

それでも、息子の結婚式という機会でネパール再訪です。 とても楽しみです。

トレッキングはできませんが、ヘリコプターで高峰遊覧もする予定です!!!

 

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