2010.7.21(水)快晴
数カ所気になる内容があるので御紹介しよう。それは神足(こうたり)という地名である。乙訓にある(現長岡京市)古い地名であり、私はあちこち転居したが、この地に一番長いこと住んだ。最初住んだ時は神足城の上という住所だったが、すぐに東神足となった。城というのは勝竜寺城のことかと思っていたが神足城かもしれない。大字は古市といったかと思うが、そんな名前はとっくに忘れられ、JR神足駅も長岡京駅と変わった。歴史的にも由緒ある地域だが、簡単に意味のない住所とするのは、文化的に水準の低い行政と言わざるを得ない。さて、この変わった神足の地名について不思議に思っていたのだが、本書にアイヌ語で解読されていた。伝説では雲の合間から光が射し込み、神様の足が現れた云々というのがあるが、もちろんこれは神足という地名があっての話だろう。さてこの神足、アイヌ語でKotan-ri(村の高いところ)となるそうだ。神足神社のある辺りは特別山になっているわけではないが、少しこんもりしている。大体現在の小畑川の西は台地状に高くなっており、神足神社の南側がやや低くなっているので高いところといえなくもない。神足がコタンリなら上林の神谷(こうだに)も同じだなあと感じていたのだが、角川の日本地名大辞典で神足を見ると驚く内容が見つかった。
勝竜寺城公園は1992年整備された。神足神社はこの東北200mほどのところにある。
神足の訓は「こうたり」とも「こうだに」ともされ、土地の人は地名を「こうだに」、神社名を「こうたり」と区別していたともいう。神足神社鎮座地は、東に小畑川を臨む一段高い地で、背後の谷を神谷(こうだに)と称し、それが神足(こうたり)に転訛したものか。
土地の人が「こうだに」とよんでおられた記憶はないが、神足と神谷が語源的に同一だとしたら神谷もKotan-ri(村の高いところ)的な場所なのだろうか。
古城山から引地、西屋、神谷方面。画面中央右、林の奥が神谷。
神谷は八津合町、上林川右岸にあり、寛政11年の丹波国地図では西屋神谷村となっている。西屋側に八幡神社があり、小高いと言えば小高い。神社の隣の谷が神谷なのか確認は出来ていないが、神足と状況的には同じである。つづく
今日のじょん:おとーは芝生の伸びが気になって仕方がないのだけど、じょんは気持が良いみたいで盛んににしくりじょんしている。今週中には刈り取るぞ。