2010.7.22(木)快晴
とにかく暑くて雨読じゃなくて晴読になってしまった。炎天下の中で仕事をしておられる方を見ていると、コンクリートジャングルの中をネクタイして走り回っていた頃を思い出す。暑いときは短パンTシャツでゴロゴロしていられることがどんなに幸せなことか、貧乏でもいいこの生活がいいと思うのである。
神足のついでに古市についても書いておこう。昨日神足大字古市という風に書いたが、明治9年までは古市村として存在した。現在は学区名として残り、小畑川を境として古市町(まち)と古市在(ざい)の自治会がある。古市の地名については長岡京の下町的な地域であって、東市があった附近だそうだ。私もその地に住み始めてから、往時の長岡京の市場なんだなあと考えていたのだが、神足校百年誌に、「地内東端の棚次・典薬にも示されるように往時の長岡京東市にかかわるものという」とある。本書「古地名の謎」にはこの地ではないが、河内、伊勢、摂津の古市について、Hur-chi(丘の多いところ)という風に解している。神足のriは高いところを表すというのなら、古(Hur)が丘を表しているとして理解できなくもない。一般的に古市だから古い市場という風に漢字の字面通りに解しているものは、附会が多いと思われるがどうだろう。
小畑川の右(左岸)が古市在、左が古市町
本書の中に日本人の起源と思われる民族についていくつか紹介してある。その中にから族のことがあるが、これは朝鮮の古代の民族で安羅加羅(あらから)、小迦那(こから)、大迦那(おおから)など六加羅の民族からなるそうだ。上林老富町の大唐内(おがらち)、小唐内(こがらち)に関連があるのではないかと、ワクワクさせるものがある。
また、雨読白鳥伝説(2010.6.10)で書いた蝦夷の王ナガスネヒコ(長髄彦)について、中州(大和)根(川)彦(男、英雄)の意ではないかと記している。谷川健一氏は長脛としてその体型にこだわっておられるように読み取ったが、私は長曽根、中曽根などの地名に由来するものと思っている。私のところに来る年賀状の中に長曽根地名のものがある。その地を地図で調べてみると、川の河口付近で州となっており、砂州がその語源となっているようである。周囲に比べて特別蝦夷に関するような地名は無いが、白山神社がやたら目に付いた。「鉄と俘囚の古代史」にあるように、白山信仰は蝦夷と関連がある。ひょっとしたらナガスネヒコと関係があるかも知れない。ともかくナガスネの名が体型ではなく地名に関係あるだろうという共通の発想が嬉しかった。つづく
今日のじょん:今朝は丹波霧が発生した。昼夜の気温差が大きいと発生するようで幻想的で好きな風景である。格好良くじょんの写真を撮ってやろうと思ったが、いつもカイカイをしていてどっチラケだ。