晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大島 3/11

2011-03-13 | 歴史・民俗

2011.3.11(金)雪

  東北の大地震の報が入ってきた。当初は「ああまた地震か」などと気安く考えているが、どうも今回は違うみたいだ。2006年青森県八戸から茨城県水戸まで太平洋側を南下した、被害は丁度この地域に当たる。阪神淡路の大地震が思い起こされ陰鬱な気持ちになる。人間の幸せ、人間の生活というものが如何に薄氷の上で営まれているかと思わざるを得ない。原発の事故が懸念されている、これもチェルノブイリの事故が思い起こされて怖ろしい。
 さて若狭大島半島には大飯原発がある、我が家から直線で30km弱というところだろうか。臨界事故などあった場合には確実に被害範囲に入るわけだが、もっと近くに高浜原発もあり、上林断層とあいまって今回の地震が他人事とは思えない。
 沖縄の奥武島(おうじま)に始まり、青島、蒼島、粟島なども同じ意味を持つ島であることを書いてきた。では大島はどうだろうか。私は大島も同類の島だと考えている。青島を探るために日本海側の地図を繰ってきたのだが、青島同様陸地からすぐのところの決して大きくない大島がいくつか見られる。但馬海岸、江津市、萩市、長門市の海岸線に大島がある。Img_4210

萩市の笠山(日本で一番小さな火山)からたまたま撮った写真、右端の島が大島である。


 瀬戸内海の大島はなるほど大島だが、日本海の大島は決して大きくない。それらが総て海辺の島であっていわゆる青島地形だが、海人族に関係がありはたまたかつての葬地であるかどうかは調べてみないと解らない。ただ長門市の大島は青海島の隣にあり、海人族に関係ありそうだ。また、おおい町の大島は海人族の地であろう。杜の文化が残っており、産屋の習俗もあったようだ。青戸入江は青への門、青への入口と解釈できる。私は戸は渡の意味も有力ではないかと考えている。
 なお、大島は現在は島ではなく大島半島だが、天長二年(825年)までは完全に島であった記録があるそうだ。(「日本の地名」)大島の東にある小さな蒼島もかつては青島と呼ばれていたそうだ。「福井県大飯郡大島村民俗誌」(安間清著)の地図にも青島と書かれている。若狭には二つの青島があると見て良いのではないか。
奥武島=青島=粟島=蒼島=大島と追ってきたが、山間部にある大野、大原、大島などは不思議な存在である。決して大きくないのに大原だったり、大野だったり、内陸なのに大島だったりする。これはまた次回に考察してみよう。

今日のじょん:今年は雪が多かったが風は今のところ例年より弱いようだ。といっても春の上林の風は半端じゃないので、風の日はおかーやおとーの居場所でぬくぬくと過ごしている。甘やかしてるというより医療費節約の意味が強い。Img_2481

 
 
 

 

コメント
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