晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大原(3) 3/20

2011-03-21 | 歴史・民俗

2011.3.20(日)曇

 2月2日の京都新聞に「ふる里の呼び名」という連載記事があり、福知山市堀の蛇ヶ端(じゃがはな)についての伝説が載っていた。蛇ヶ端は福知山市街の東の入口的な地域で、由良川、土師川の合流地点の西側に拡がる地域である。私が高校時代小遣いが貯まると福高から歩いて蛇ヶ端を通り福知山の新町商店街に急いだ。本屋さんやレコード店に行くためだ。蛇ヶ端は今でこそ新しい店が建ち並び、新進の街という感じだがその当時は一部工場などがあるだけで、寂しいところだった。Img_0285 
 
土師川の向こう岸が蛇ヶ端。


 さてその伝説とは、大原の大蛇退治伝説である。時は応仁年間(1467~68年)というから伝説にしては具体的だ。大原の奥に妖怪が出るというので大江の若武者が駆けつけると、妖怪は大蛇であった。弓矢で退治したのだが、その一の矢を放ったのが、大原神社北の蛇ヶ谷で二の矢が蛇ヶ端だというものである。蛇ヶ端には大蛇の髭が落ちており、「蛇の髭」として大原神社に保存されている。この髭というのは1.4mの長さがあり、表面が棘に覆われているという。もちろん蛇に髭があろうはずもなく、何かの別物だろうが、大原神社には民俗学的に興味ある伝説、俗説、付会の説、慣習などが多いと福知山市史にも記されている。Img_2536
 
村上さんにもらった大蛇伝説の切り抜き。


 蛇、特に大蛇伝説は八岐大蛇伝説をはじめ、比良の小女郎ヶ池伝説など金属、産鉄にからむものが多い。大原の大蛇伝説について考察する資料を持たないので何とも言えないが、蛇ヶ谷が何鹿郡和木村(現綾部市和木町)からの出戸であるという(角川日本地名大辞典)のが気にかかる。出戸というのがどういう意味か確認できていないが、和木村から移り住んだとか和木村から山を越えて耕作していたとかの意味だろうか。
 大原神社が野々村庄堅木原村(美山町樫原)から遷宮したとか、蛇ヶ谷が和木村の出戸であったとか、大原が土師川支流の川合川下流地域よりも峠越えの由良川地域と深いつながりがあったのではないかと考える。つづく

【作業日誌 3/20】
ガーデンシェッドドア枠調整

今日のじょん:今日はじょんの三歳の誕生日である。昨年はマーブルママと一緒に飲みに行ったり、ケーキにロウソク灯して祝ったりしたが、今年は緊縮財政のため特別なことは止めて、ちょっとおいしい晩ご飯にして祝った。おめでとー。Img_2534

お気に入りのヒョウ柄のマットは早く買った誕プレである。 

コメント
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