2011.2.28(月)雨
(5)や神さま
聖神社について調べているときに妙な文章を見つけ、それを調べていると妙なサイトを見つけた。私はそれをこの「大唐内のこと」に書くべきか大変迷ったのである。
歴史、特に古代の事に関しては書物であれインターネット上のサイトであれ、科学的に研究されているものと宗教的といおうか神懸かり的といおうか多分に非科学的な態度の論文がある。もちろん私が要求するものは前者だし、私が書こうとしていることも前者の態度である。今回書こうとしていることは前者とも後者とも判断しがたく、悩んだところであるが、40回になろうとしている「大唐内のこと」の休憩コラムとして読んで頂ければいいかなと思うところである。
「真言密教と古代金属文化」の第七章座談会金属史観の中で柚木伸一氏が土蜘蛛について語っておられる場面である。土蜘蛛とは土地主の蔑称だというなんとなく不可解な説明に続き、次の文章がある。
「それともう一つ、蜘蛛は八本の足がありますね。当時「八岐大蛇」に通う「ヤ族」と称する部族または特能集団がいたと思います。それら全部なんらかの形で、古代冶金関係の従事者だったと思うのです。云々」
一部だけみれば一体何のことか解らないと思うが、前後をみてもなんとも理解しがたい文章である。
私が興味を持ったのは「ヤ族」である。これは一体どのような部族なのか。この書の中にはこれ以上の説明はない、やむなくインターネットで「ヤ族」調べることとなる。
ではなぜ「ヤ族」が気になったかということである。
狼藉を働き、百メートル離れた山上から「や(脇腹)」に矢を射られたろくぶ(君尾山の僧兵のワルとみられる)は「『や』の悪い人を救う」と言って息絶えた。村人は墓標を建て「や」が痛むと祈った。有安の中心地にあり「や神」さんと呼んでいる。弓の名人は藤元善右衛門。村を見おろす山上に墓がある。
これは以前に紹介したおくかんばやしイラストマップという観光案内に掲載されている文である。だれがどのような資料を基に書かれたのか調べてみないと解らないのだが、”や”というのが脇腹というのは不思議なことである。国語辞典、漢和辞典、古語辞典、方言辞典など調べてみるがそれらしい説明はない。唯一国語辞典に、「やつくち(八口)、袖のつけくちの脇の下に当たる部分で縫い合わせていないところ」というのを見つけた。脇の下の部分がやつくちなら脇腹は”やつ”、あるいは”や”かもしれない。ところがこれらはいくら調べても出てこない。インターネットで調べると、やつくちはしっかり出てくるが、”やつ””や”は出てこない。思うに”や”は脇腹のことを言うのかもしれないが、一般的ではないということだ。
弓の名人藤元善右衛門氏が悪人を射た現場にある石の墓標が「や神さま」と呼ばれている。とすれば、それは「矢神さま」と呼ばれるのが一般的と思われる。それをあえて「や神さま」と呼び、しかも”や”=脇腹というこれも一般的でない意味を持ってきて、脇腹の痛みにご利益があるとしたことに深遠な意味を感じるのである。つづく(大唐内のこと(38)は2011.2.28)
【作業日誌 2/28】
薪割り
今日のじょん:冬の季節は犬連れ来じょん者も無いので、犬どうし遊ぶことが少ない。ユキちゃんだけはしっかり来てくれるので、唯一の楽しみのようだ。とってもいい写真があったので、見せてあげよう。(2月22日の写真)