2011.3.10(木)雪、曇
朝起きるとまたしても雪景色で、慣れっこになったとはいえそのしつこさに呆れかえる。上林の春は遠い。
もう最後にして欲しい雪景色。
沖縄の奥武島に始まり青島、蒼島或いは粟島などが同じような位置、意味を示すことが解った。綾部市にある青野が内陸ではあるけれど、居住地から離れた水辺にあることも同類のいわゆる青地名のところといえるだろう。
グランドの向こうが青野、手前は由良川。現在は新しい住宅が建ち並んでいるが、古代には人里離れた川沿いの湿地帯であっただろう。
青といえば鳥取の青谷(あおや)は自転車旅行中に訪れた。青谷上寺地遺跡は山陰における巨大な弥生遺跡で土製品、木製品、鉄製品、人骨など豊富な出土品が出ている。遺跡は海岸線から1Km程山手に入るが、縄文海進、弥生海進などから見ると海岸線近くにあったのではないかと思われる。青(アオ)は海辺を表し、谷(ヤ)は谷地(ヤチ)即ち低湿帯を表す地名と見ていいのだろう。なお、ここを流れる川は日置川といい気になるところである。また鉄製品の原料は輸入品である旨も書いてあった、山陰地方の朝鮮半島に対する窓口であった可能性がある。
青谷上寺地遺跡の展示館(2007.5.16)
まだ訪ねたことは無いが、若狭の青は青地名の最たるものだろう。高浜町にあり、JR小浜線の青鄕駅があるように、古代の青鄕である。この地も海岸から1Kmほど入ったところだが、古代には海岸線であっただろう。「日本の地名」(谷川健一著)に青鄕から平城京へ鯛スシや鰯と貽貝(いかい)の贄物(にえもの)が送られているという木簡が発見されているとある。また青鄕の北西には青葉山があり、ここには玖珂耳の御笠の伝説がある。もっと気になる地名は大島半島の入り江が青戸入江(あおとのいりえ)と呼ばれていること、垜山(あずちやま)という山があり、死人が巓(しぶとがづく)というところがある。昔掠奪があり、その戦死者を葬ったという伝説があるそうだ。島の北西側は居住が無く断崖となっており、どこか地形的に似ていると思ったら、沖縄の伊平屋島であった。伊平屋島も北西側は居住が無く、海岸からそそり立つ山の中腹に洞窟が沢山あり、かつては風葬の葬地であったということだ。伊平屋村にも青地名が無いものか地図を繰ってみたら、島の南に阿波岳という山があった。これも青の同種かも知れない。
手前の黒い影が阿波岳(野甫島から、2007,2,21)
高浜町の青で気になるのは、鳥取の青谷同様に日置川があることだ。そして日置川と関屋川の合流するところにある青海神社から青が海人族の地であることを谷川氏は説いている。私はこの青の文化が日置峠あるいは胡麻峠を経て上林の大唐内にもたらされたのだろうと考えている。
今日のじょん:もうこれが最後と何度となく思った雪景色、”犬は喜び庭駆け回る”というのを地でいっている。芝生広場の白樫の周りを5,6周全速力で廻る姿は最高。
あーしんど、ゼイゼイゼイとやってるところ。