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晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

何か変だぞ 3/29

2011-03-30 | 日記・エッセイ・コラム

2011.3.29(火)晴れ後曇

 私たちの年代は戦争を知らない年代である。しかし生きている間に二つの大きな地震災害を経験した。阪神淡路の震災は最大のものと思ったが、今回の震災ははるかにそれを上回っている。それ以外の震災も鳥取、新潟、北海道、伊豆や長野でもあったなあと思い出す。震災以外にも火山の爆発や水害など災害のない年はなく、日本という国はなんと災害の多い国だなあと思うのである。そんなことは分かり切ったことなんだから、いざというときのために国は貯えをしておき、一地方が壊滅状態になったとしても備えで賄えるようにすべきなのではないだろうか。それなのに国が儲かったときはぱかぱかとわけの解らんものに無駄遣いをし、いざとなったら何も貯えはないというのが現状である。調子よく無駄遣いをしている時が自民党政権で、いざ大惨事と言うときは他の政党党首が首相となっている。私は地元選出の谷垣氏が「こんな時だから一肌脱ぎましょう」と言っても良かったのでは無いかと思っている。今は国家の一大事だという認識が欲しい。
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左:普賢岳の噴火で千本木地区は火砕流に埋まった。(普賢岳爆発1991年)
右:中越地震で山古志村は孤立、この道路は2年後に開通した。(中越地震2004年10月)

 統一地方選で綾部市では、府会議員の選挙を目前としている。連日各候補予定者の宣伝カーが街宣しているのだが、今回の震災に対する姿勢、政策を語る候補予定者はいまだにいない。お決まりの宣伝文句だけで街宣されても不信感がつのるばかりである。
 被災していない西日本のやるべきことは何だろう。「今あなたに出来る最も有効なことは義援金を送ることである」ラジオのアナウンサーが言っていた言葉が気にかかる。違うだろう。
 これだけ大きな災害の補償と復興資金は国家が賄うのだろうが、貯えがない以上被災していない地域の税や国債に頼るわけである。頑張るべきは被災していない地方の人間なのだ。そうでなくても支援物資や被災地が生産していた物資の生産で西日本は大わらわとなっている。フル操業して大儲けして、思いっきり税金を払うことが被災地を救うことである。義援金は眼に見える、タレントの某が何億円、大企業が何億円というのは頼もしい。しかし被災地を救い、復興させるために我々が出来る最も有効なことは、元気を出して経済活動にいそしむということではないだろうか。私が府会議員候補なら、こういう街宣をする。
 綾部山家の桜祭りが中止となったそうである。新聞では「震災で亡くなられた方々に哀悼の意を表するため」とあった。福知山の同様の祭りも中止になったと聞く。いかにも丹波人らしい考え方だとは思うが、誠に残念である。前述の考え方をすると、おおいに働いて、おおいにリラクゼーションをすることが最善なんだが。
丹波の一地方で「哀悼の意を表して」一体誰が喜ぶだろう。それならば、祭りの収益金を寄付するなり、祭りで義援金を募る方がよほど被災地のためになろう。京都府に避難している人を招待してもいいだろう。こんな時だからこそ、元気に頑張らにゃあ。
 元気の出る駄洒落を一発。
「東京電力は被害の補償をするんかなあ」「そりゃー、とうでんやで」
「連舫さんは都知事選に出るんかなあ」「れんほうがええで」


【作業日誌 3/29】
木樵7回目
引地谷にも雪で倒れた木を貰いに行った。この木何の木?Img_2571




 今日のじょん:かみさんが犬のアイコンタクトなどについて研究している先生の番組見てえらい感心している。犬は人間の目線を見て行動するんだって、、、。なるほどと思うことがいくつかあるが、眼を見て行動することもあるが、眼で訴えることもある。散歩の時、自分が行きたいところがあると、立ち止まって眼で訴えるのだ。そういうときはできるだけ従ってやるようにしてるんだけど、、、、。Img_2544


この目は何を訴えているでしょう?


コメント (2)
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