晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

古屋再訪 10/4

2011-10-05 | 上林界隈(AKB)

2011.10.4(火)快晴

 10月16日(日)に第14回の洞峠の風にふれあう交流会が行われます。是非参加したいと思っているのですが、なにしろ営業日なので13時ぐらいまでに帰ってこれるか微妙なところです。軽トラを手放したので自転車で行けばどのくらいかかるか実験も兼ねて行ってみました。というより、あまりにも良い天気なのでとにかく自転車に乗ってみたかったのです。里山サイクリングをドタキャンしたわけですが、日本一周ツーリングを達成してからどうも目的地に用が無くて自転車に乗るのが嫌になって来ています。つまり体力をつけるために走るなんてことはあまり魅力を感じないのです。Img_3863_2 Img_3864
 
集落に向かう手前の峠から郡境尾根、洞峠はもう少し右手かな。


 こういう言い方をすると、上林川本流に住む人間の言い分、故郷を捨てて都会に出た人間の言い分ということになるのでしょうが、たとえ古屋に綾部美山線の舗装道路が開通したとして、若者が還ってくるでしょうか、私はそうは思えません。
 古屋に生まれたひとが何かを感じて還ってくる、あるいは古屋の価値を感じた人が移住する以外にないのでしょうか。Img_3870

古屋はぽっかり開いた空間といった感じ。


 この日の古屋でも誰一人出合うことはありませんでした。公民館には灯りがついており、名産になった栃餅製品を作っておられるようです。昨年訪れたときは犬の鳴き声もしたし年配の男の方にも出合いました。せせらぎの音以外にはペダルの軋む音しか聞こえないのは何ともやるせない想いです。そうでなくとも両岸に迫る山影に押しつぶされそうな思いがしているのです。
 先程モータリゼーションの発展云々と言いましたが、モータリゼーション出現以前はこの地は京に向かう京街道の一つとして随分賑わっていたとのことです。大岩の集落も街道あっての集落だったのではないでしょうか。大岩にも古屋にも道路沿いに能舞台のような建物が残っています。これはある意味では旅人のための簡易宿泊所的な役目があったのではないでしょうか。Img_3098
 
大岩のお堂、古屋のものは上の写真の左下に写っています。



 ともあれ、当時は多くの往来がある風通しの良い集落であったわけです。それがモータリゼーションという文明の親玉のようなのが発達した結果、どん詰まりの集落となり、あわや廃村の憂き目にあおうかという心配も出てきたわけです。これは随分矛盾した話ではありませんか。そもそも文明とは、人間のためにあり、人間の生活の発展向上に寄与すべきものであります。その文明が生活の場である村の存続を脅かし、人々の生活を破壊していたとしたら、やはり矛盾といえるでしょう。
 全国各地の廃村も同様の状況だと思います。福島県の原発周辺だって、文明の最たるものに村を破壊されている訳ですから。
 なお、古屋までは14Km、1時間というところでした。

【作業日誌 10/4】
第三木小屋完成、経費1,340円(桟木1,000円、1×4340円)

今日のじょん:じょんがおしっこしたがるので早く起きて外に出てみました。なかなかの丹波霧で、こういう日は良い天気になります。Img_3852 Img_3854

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日吉町地名散歩(7) 10/3

2011-10-05 | 歴史・民俗

2011.10.3(月)曇、雨

 現在では海老といえば曲がったものを表す代表のようで、アメリカではバナナだそうです。海老地名は数多くあるので総てを調べてゆけばおぼろげながらでも傾向が見えてくると思いますが、ここでは既に紹介した海老名(えびな)市と揖斐川(いびがわ)の例を挙げて見たいと思います。
 海老名も揖斐川ももうひとつ釈然としない説明でした。海老名のエビ=イビ=ユビで指のように曲がっているから階段状の地形というのは一体何のことか解りません。もう一つの=イボで怒る、荒れるというのは一見もっともなことだけど、エビがイボになるかなあと疑問を感じます。イボなら兵庫県に揖保郡があるのですが、どうもこちらはそのような由来ではなさそうです。海老名の地名由来は一筋縄では行かないような気がしますが、地図で海老名を見ますと気になることが出てきました。まず市内を南北に流れる相模川は実に素直に流れていて、古代の流域は知るよしもありませんが、少なくとも川が曲がって江廻、江曲(えび)という感じはしません。市内も市街地化しており、地名も特別気になるものは見つからないのですが、相模川を下っていくと寒川町(さむかわちょう)という町があります。高座郡(こうざぐん)の唯一の町ですが、元々の高座郡は(たかくらぐん)と呼び、北は相模大野市から南は茅ヶ崎市まで含む大きな地域であったそうです。寒川には寒川神社もあり、真弓常忠氏は「古代の鉄と神々」の中で、サヒ・サブ・サビは鉄の古語で、寒川、寒田、寒河江(さがえ)、祖父江(そふえ)などは鉄を表す地名や神社名と述べています。高座郡は高句麗との関連説が有力で、私が調査中の引地川(ひきじがわ)もこの郡の範囲に入ります。
Img_1823 Img_1826
 
旧高座郡には相模川、引地川、境川が南北に走っています。写真は境川、江ノ島。江ノ島の南側には鉱山があったとか。


 
 揖斐川については金工に関係する地名だと従前から思っていました。それは井塚政義氏「和鉄の文化」で言うところの伊吹《ねう》地帯(伊吹山を中心とした産鉄地帯)を貫く大河であり、その支流が根尾川(ねおがわ)なのです。真弓氏の揖斐川に関連する文を紹介します。
 
ヒシ・ヘシは「和名抄」によると、鉄鏃を意味し、棹の先に装着した鉄片である。この語から派生した「鉄の川」が、イヒシ(飯石)川、イビ(揖斐)川であるとしたのも福士幸次郎であった。「イ」は発声上のもので、本来の形は、ヒシ川・ビシ川であるという。そしてこの「ビシ」は元来南太平洋の鉄という言葉BESIと一致すると指摘している。(『原日本考』)つづく(日吉町地名散歩(6)は2011.10.1)

今日のじょん:じょん語録(61)朝の雨はじょんの腕まくり
そのまんまです。
Img_3847
 

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