2011.10.4(火)快晴
10月16日(日)に第14回の洞峠の風にふれあう交流会が行われます。是非参加したいと思っているのですが、なにしろ営業日なので13時ぐらいまでに帰ってこれるか微妙なところです。軽トラを手放したので自転車で行けばどのくらいかかるか実験も兼ねて行ってみました。というより、あまりにも良い天気なのでとにかく自転車に乗ってみたかったのです。里山サイクリングをドタキャンしたわけですが、日本一周ツーリングを達成してからどうも目的地に用が無くて自転車に乗るのが嫌になって来ています。つまり体力をつけるために走るなんてことはあまり魅力を感じないのです。
集落に向かう手前の峠から郡境尾根、洞峠はもう少し右手かな。
こういう言い方をすると、上林川本流に住む人間の言い分、故郷を捨てて都会に出た人間の言い分ということになるのでしょうが、たとえ古屋に綾部美山線の舗装道路が開通したとして、若者が還ってくるでしょうか、私はそうは思えません。
古屋に生まれたひとが何かを感じて還ってくる、あるいは古屋の価値を感じた人が移住する以外にないのでしょうか。
古屋はぽっかり開いた空間といった感じ。
この日の古屋でも誰一人出合うことはありませんでした。公民館には灯りがついており、名産になった栃餅製品を作っておられるようです。昨年訪れたときは犬の鳴き声もしたし年配の男の方にも出合いました。せせらぎの音以外にはペダルの軋む音しか聞こえないのは何ともやるせない想いです。そうでなくとも両岸に迫る山影に押しつぶされそうな思いがしているのです。
先程モータリゼーションの発展云々と言いましたが、モータリゼーション出現以前はこの地は京に向かう京街道の一つとして随分賑わっていたとのことです。大岩の集落も街道あっての集落だったのではないでしょうか。大岩にも古屋にも道路沿いに能舞台のような建物が残っています。これはある意味では旅人のための簡易宿泊所的な役目があったのではないでしょうか。
大岩のお堂、古屋のものは上の写真の左下に写っています。
ともあれ、当時は多くの往来がある風通しの良い集落であったわけです。それがモータリゼーションという文明の親玉のようなのが発達した結果、どん詰まりの集落となり、あわや廃村の憂き目にあおうかという心配も出てきたわけです。これは随分矛盾した話ではありませんか。そもそも文明とは、人間のためにあり、人間の生活の発展向上に寄与すべきものであります。その文明が生活の場である村の存続を脅かし、人々の生活を破壊していたとしたら、やはり矛盾といえるでしょう。
全国各地の廃村も同様の状況だと思います。福島県の原発周辺だって、文明の最たるものに村を破壊されている訳ですから。
なお、古屋までは14Km、1時間というところでした。
【作業日誌 10/4】
第三木小屋完成、経費1,340円(桟木1,000円、1×4340円)
今日のじょん:じょんがおしっこしたがるので早く起きて外に出てみました。なかなかの丹波霧で、こういう日は良い天気になります。