2011.10.30(日)雨
私が心配した金属Vs農耕というような論評は杞憂に終わりました。なぜなら本書が地域を分担した多くの研究調査執筆に携わる委員に委されたところに因があるようです。つまり単独の、頑迷とまで言える強い意志によって書かれた書ではなくて、様々な意志の集合であり、最終的な編者がその意志を尊重しているところにこの本の素晴らしい成果が現れているという風に考えます。
逆に各地域の記事によって地名の成り立ちに対する考え方のアンバランスが目立ちます。つまりその地名に対し深い探究と調査を重ねられ、物的証拠まで見つけ出された例もあれば、旧来のおそらく付会であろう伝承をそのまま採用されている考証もあるということです。
例えば徳山村西谷にある戸入(とにゅう)、門入(かどにゅう)の地名についての研究です。伝承では「門を入り、戸に入る」という意味で、村が西谷から開けていったということが言われています。調査員はこの伝承に疑問を持ち、入=丹生の古文書なども発見し、ついには「こうもり穴」「弘法穴」という水銀鉱山を発掘するに至っています。地名から現物の遺跡を発見するという素晴らしい成果を出しています。
伝承をそのまま採用している地名考証は沢山ありますが、例えば揖斐川町清水の糠吹(ぬかぶく)です。金工地名の研究者ならすぐに気がつく地名なのですが、本書では「鎌曽(かまそ)と呼ばれる上流の淵に籾殻(糠、ヌカ)をまくと、地下をくぐって遠く二里も離れた”糠ボコ”に吹き出る」という伝承を糠を地下水に替えて地名由来としています。
春日村谷山の泣尾(なきお)では、尾が尾根、尾根の末端とまで解明していながらも、”泣き”を飢饉に苦しんだ人の涙に比定したのはどうかなと思います。私は”泣き”は”薙ぎ”で急峻な崖と解釈するのですが。
また、池田町般若畑の武者穴については、漢字の意味から敗戦の武者が隠れた岩穴という説から脱することなく、古墳の横穴石室まで辿り着きながら、六請、無所=墓所という意味に気がついていないようです。
綾部市五津合町の睦志(むし、旧虫村)には鎌倉権五郎景政を祭神とする若宮神社があります。この地を「西丹波秘境の旅」澤潔氏は無所(むしょ)=墓所と解き、谷川健一氏は昆虫の虫と解いています。私は金工地名と考えています。
このように非常に優れた考証と稚拙な考証が混在しているところが本書の特徴であり、一人の頑迷な学者により妙な方向へ引きづり込まれるような専門書よりもずっと子供たちのためになる書物であります。
中に一般の方が、自らが住まいし耕作する地域の小字にもならない地名について考証されている文面がいくつかあります。これが実にこまめに勉強され、調査されて、下手な地名学者よりもずっと明解に考証されています。故郷の地名を考えるということが如何に自らの郷土愛、これから育っていく人たちの郷土愛を育むものかということを思い知らされた一冊です。おわり
【作業日誌 10/30】
作業庫整理
今日のじょん:桜井さんにむかごを頂いた。私はこれが好きで、ビールのアテには最高だ。芋好きのじょんも食うかなあと思ったら見向きもしない。しろーとやなあ。