2012.7.27(金)快晴
現在日本に金山があるのをご存じだろうか。鹿児島県の北部に菱刈(ひしかり)鉱山という金鉱山があり、住友金属鉱山が現在も操業している。金品位の高い鉱床で、年産7,5㌧というのは日本の金生産のほとんどということだ。2010年のデータで産出量181㌧で、もちろん日本一、第二位の佐渡金山が83㌧だからその鉱脈の規模が解ると言うものだ。鹿児島には三井串木野鉱山もある。ここの金産出量は56㌧で日本で第四位、両方を足すと日本の産出量の半分以上となる。この他に島津藩時代に金鉱脈が発見された山ヶ野金山などもあり、鹿児島は日本で金の埋蔵量の最も多い地帯と言える。
これらの鉱山は徳川の時代になってから開発が始まったようだが、それ以前から採掘はされていたようで、そのことを家康は認知していたのでは無いだろうか。
菱刈の名は和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう・平安中期に作られた辞書)に「比志加里」という風に書かれており古い地名であることが解る。「比地菱多ク産セ
シ故其名ヲ得タリ」とある。住友金属鉱山(株)の岡田和也氏の「菱刈鉱山の開発および現況」という論文では、菱(ひし)とは低湿地に繁茂する食用の一年生水生植物としている。もっとも妥当な解釈ではあるが、ヒシ、ヘシ、ベシ、ペシというのが金属の鉄を表すことをご存じだろうか。南洋系海洋民族の言葉で鉄を表すという説は「古代の鉄と神々」(真弓常忠著)に詳しい。さすれば「菱多ク産セシ」とは鉄が豊富であると解せるわけだ。この地方の地図を探ってみると、芦谷、多々良石、青木、荒田、鉄山などという地名が出てくる。金山以前に鉄の産地として存在していたのでは無いだろうか。
鹿児島の金山は川内川(せんだいがわ)流域に多い。川内川は鹿児島県の川という思いが強いが、宮崎県のえびの市などを通り、源流は熊本県にまで及んでいる。写真はえびの高原。
豊富な鉱物資源と採鉱、冶金の技術者を島津が押さえているとしたら、今ここで島津を潰したら、それらが無に帰してしまうと家康は考えたのかも知れない。
徳川の時代になっても島津藩は着々と鉱山の開発を行い、時には幕府に秘密裏に採鉱していたこともあるようだ。そうしてその資金が数百年後倒幕のために使われたのだから、歴史というのは皮肉なものである。
今日のじょん:最近暑さのせいか階段下の通路で寝ていることが多い。明るいときは問題ないが、節電で灯りを消している場合なんとも踏んづけそうで危険きわまりない。そうで無くても歳のせいか注意力が低下しているのに、、、、。