晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 島へ(3) 7/25

2012-07-25 | 雨読

2012.7.25(水)晴れ

 雨読 「島へ」は前回で終了のつもりであったが、書き残していた事項があるのでもう一回お付き合い願いたい。
 奄美が鹿児島(島津)に対して恨みを持つことと、西郷どんに対して奄美の人々が「過褒」であると井出氏が判断されたことは、島津藩の繁栄も大政奉還にかかる島津藩の活躍も、西南戦争の戦費もひとえに奄美、沖縄での黒糖支配による莫大な資金のなせる技だということだ。Img_3078

砂糖キビの植えつけ、奄美では砂糖キビ以外の作物を作ることを禁じられた。砂糖キビは土つくりを必要としないので今でも痩せた地味だということだ。(徳之島 2007、3、8)



  離島の人々から文字通り搾り取った資金で歴史の表舞台に躍り出て、遂には身勝手な西南戦争まで巻き起こす島津に対し、奄美の人々が怨念を持ってもおかしくは無いし、西郷どんをもてはやす状況に疑問を感じられるのも当然である。
 もうひとつ書いておかなければいけないことは、全編にわたって描かれている茨田茂平画伯の挿絵である。本書の表紙写真は五島列島有川湾の絵である。P1020254 このようにあるときは風景であったり、地図であったり、風物であったりするのだが、実に親しみ深いそれでいてわかりやすい絵を描いておられる。五年間の島々を巡る旅に常に同行して描いて頂いたと後書きにあるのだが、仕事として絵を描くのでは無く、旅のパートナーとして無くてはならぬ存在だったのでは無いだろうか。そう思うのは、一つひとつの絵が、写真では絶対に表せない井出氏の主題というか思いを表現しているのである。そういう意味で、この本を画文集として見ても充分に価値のあるものと思うのである。

【作業日誌 7/25】
草刈り(4-6)終了

今日のじょん:じょんちゃんには関係ないのだが、この草なんだと思う。どう見ても芝の一種に見えるんだが、、、、。実はこんな感じで砕石の中に五つ六つ島みたいに生えているのだ。種が飛んできて生えたんだろうけど、随分丈夫な草である。芝の中に生える芝もどきのようでも無いし、まあ雑草の仲間だろう。芝生の近くに居て、増えても困るので玄関坂の下の方にでも植えてやろうか。この調子だと一気に増殖しそうなんだが、、、。P1020262

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雨読 島へ(2) 7/24

2012-07-25 | 雨読

2012.7.24(火)晴れ

 紹介されている二十島のうちわたしが訪問したのは七島である。そのうち桜島については先に紹介した。(2012.5.21参照)後日新聞紙上で林芙美子の生誕の地は北九州市、門司であるという記事を見た。もう一度「島へ」を見直すと桜島の古里温泉は原籍の地という書き方であった。彼女が唯一故郷として帰ったのは尾道であって、おそらく門司にも桜島にも帰ったことは無かったのではと思う。古里温泉に詩碑があるのは地元の観光誘致の一環なのだろうか。なにか複雑な気持ちになる。
 わたしが訪れた七島のうちで複数回訪れたのは奄美大島で、実に4回訪れている。歴史的な事など何の興味も無く、当地で行われるトライアスロン大会の運営に携わり、その前後に観光地めぐりやマリンスポーツを楽しんだりしていたものだ。従って本書の主題となっている島津藩の支配、特に砂糖キビ栽培による収奪は沖縄で知ったものだし、債務奴隷家人(ヤンチュ)のことも徳之島で知った。ただ夜な夜な通った名瀬のスナックの女将が「奄美は鹿児島県でも沖縄県でもないのよ、奄美県なのよ」と言っていたのを思いだす。沖縄は中国、大和(島津)、米国と支配を受けて沖縄県となったが、奄美は琉球、大和、米国と支配を受けて鹿児島県になった。島人にとって最も憎むべき島津藩の鹿児島県に属するとは考えたくないのだろう。Img_3023
 
徳之島から奄美大島の島影


 本書では、その怨念の対象となっている薩摩藩のなかで、西郷どんだけが島の人に人気があるのはなぜだろうと疑問を感じている。確かに若き西郷どんは幽閉の身となって奄美大島、徳之島に流されるのだが、その間島津藩へ島の実情を訴える書簡など出しているそうで、そういったことが島の救世主のように思われたのだろうかと書いている。
 結局奄美の人々の西郷どん評価は「過褒」(かほう・ほめすぎ)ではないかと、丸太南里の事件をあげていっている。自由民権家の丸太南里は奄美の砂糖販売の自由化を求めて薩摩の西郷どんのもとに陳情団を派遣したそうだ。ところが上陸するやいなや囚われて、西南戦争にかり出され、三十五名の陳情団のうち島に帰ったのは四名ということだった。奄美の人々がこの事件のことを知っているかどうかは解らないけれど、井出氏が「過褒」と言うからにはこれ以外に島人と西郷どんの好ましからざる確執があるのかも知れない。Img_3096
 
黎明館の近くの西郷像。


 わたしは鹿児島歴史資料センター黎明館でちょっと垣間見ただけの西郷どんなんだけど、やんちゃで破天荒なところはあるが、奄美で鹿児島でいや日本中で親しまれ尊敬を受けるほどの人物では無いと思った。
 わたしが訪問していない十三島の中で以前から行ってみたい島がある。鬼界ヶ島、隠岐、小笠原、、五島列島、対馬は日本一周旅行中に行くべしの島だったし、南大東島、舳倉島は行きたい島であった。唯一知らない島があった、飛島である。森敦の小説に惹かれて吹浦(ふくら)をとおりながら、その沖にある飛島は知らなかった。Img_0591 全部は行けないだろうけど、どこか行ける機会があったら、この本を持って行こう。また違った旅ができるだろうから。おわり

吹浦の十六羅漢、飛島が見えるのだろうけど。


【作業日誌 7/24】
店の窓掃除

今日のじょん:今日は「出た手足に目鼻を付けて」の動画を撮った。アップロードの研究中なので、写真を御紹介。P1020259

これが秘技出た手足だ。

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