2012.7.21(土)雨、曇
京丹波町の猪鼻についてはいかなる語源があるのかと考えるとき、これがワンポイントを指す地名では無く地区全体を指すいわゆる大字地名であることが困難な事由となっている。
例えば徳島県方言学会の県内3箇所の猪鼻地名については、それが小字でありその場所の地形などから清水の湧く崖という結論を出されている。
「産土今昔夜話」の中で西山氏は、猪鼻=蛇ノ端=水が斜めに流れているところで、ゆったり落ち着いているところへ突き出ている端、という風に解いておられる。
この説は一番一般的というか、当を得ている様に思えるのである。
水の流れの中に突き出た尾根の末端という地形が顕著なところがあれば、そこが語源になる可能性は高い。
地形図を見ると加用口から原ヶ谷までの間に西北から鼻と言えそうな尾根が張り出している。しかも伝説ではそのあたりは大きな池だったということだ。大身との間に狭隘部分があり、水が溜まっていたということだ。大身境の峡谷をぶち抜き、治水に貢献した武士木之本喜平次の伝説や池の元という地名、亀岩の存在、おゆらさまという蛇伝説などがあって大池はまんざら架空の話では無さそうだが、定かなことでは無いようだ。しかしもし過去にその地が大池であって、例の尾根が張り出している様は将に水の流れの中に突き出た尾根の末端、「蛇の端」なのである。
横谷から尻見峠に向かう道。大原神社の参詣にはこの道が使われた。下村はこの谷にあり。
猪鼻の小字を見ていると、横谷に下村があり、府道を冠石峠方面に行くところ民宿細野さんの上あたりが中村、その上が上村となっている。つまり池の元から下の大池のあったところは村が無かったと考えられないことも無い。
猪鼻の風景、中村はこのあたりか?
原ヶ谷という地名も墾ヶ谷(はりがたに)と一般的に解される。開墾されたところというのは歴史的にも筋が合うようだし、それ以前は大池だったというのも頷けそうだ。
この尾根の末端付近が小字の猪鼻であれば猪鼻=蛇の端説はほぼ間違いないと思われるのだが残念ながらそのような小字は無い。
かつて大池であったという証拠が見つけたいと思うのだが、実は加用谷出合いから下流は訪れていないのだ。もちろん子供時代に遠足で歩いたり、自家用車で通りすぎたりしたことはあるのだが、そのような眼で見ていないということである。
数々の伝説の地を訪ねてなにか参考になる事をつかんでみたいと思っている。
つづく
【作業日誌 7/21】
草刈り(4-4)
今日のじょん:ゆきちゃんが来るとだしてくれーいというので出してやると、ひとしきりじゃれて遊んでいるが、すぐに飽きてシラッとしている。ここまではすでに照会済みの事なんだが、その後はどうなるか?って。
入れてくれーいとドアの下から覗くのである。ナチャケナイ。