晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 島へ(1) 7/23

2012-07-23 | 雨読

2012.7.23(月)晴れ、曇、雨

 雨読「峠をあるく」(2011.11.16~24)は6回連載で書いたほど共感を覚えた、その続編とも言うべき今回の「島へ」である。
 「歴史紀行 島へ」井出 孫六著 1985年6月第一刷 筑摩書房発行 定価1,300円 古書
P1020254  島への旅が好きになったのはもう40年も前になろうか沖縄への旅がきっかけである。沖縄本島も立派な島であるが、先島の石垣島、竹富島への旅は強烈なインパクトがあった。その地の歴史や文化について探究したわけでも無く、単に南の島の風景を見て回っただけなんだが、なにか感じるものがあった。それは隔絶感とでも言おうかなにかそこに隔絶された、とても心細くなるような不思議な感覚を覚えたのである。最果ての岬や冬山の奥地などに旅をしてもこのような感覚にはならないのである。それは海のなせる技であるとしか考えられない。山の奥地で人に出会わない日が何十日続いても感じることの無い隔絶感を観光客でごった返した石垣島で感じるのは不思議なことではある。
Img_0426  
隔絶感というのは島の大小、遠近には関わらない。
佐渡島(2006.8.31)


 井出孫六氏の紀行文に感動するのは、「峠をあるく」でもそうであったように、その対象とする場所と人との関わりが主題になっているからである。
 沖縄の先島で島の虜となったわたしは、その後数知れない島への旅をするのだが、手にしたのは山と渓谷社の島の旅というガイドブックであった。美しい写真とガイド文が掲載されており、毎日ページを繰りながら島の旅を空想していたのだが、その頃「島へ」を読んでいたら私の旅はもっと違ったものになっていただろう。
「島へ」にはその島に訪れていたとしても決して気づくこと無いその島に生きた人の歴史がうかがえる。
 本書には二十の島が登場する。そのうちわたしが訪れた島は七島だが、記事の内容を知っていた島は一島だけであった。しかしそういう歴史的な事を知らないで旅したことが無意味であるかというとそうでないのが旅の面白いところでもある。回想の中で「あの島にはこういうことがあったのか」と思い起こすのも実は同じ価値があるのだと思うのだ。
 井出氏の文に惚れるのは、氏が常にその地に生きた庶民の立場に立っていることだ。体制には批判的であり、特に明治新政府の野蛮性、欺瞞性についての記述はわたしと同感なので身震いのする思いである。そしてもうひとつ痛快なのは、巷間著名で尊敬を集めている人物について、実はそんなに大物じゃ無いとこき下ろしている部分である。つづく

【作業日誌 7/23】
干しネギづくり
草刈り(4-5)

今日のじょん:今朝はぽんぽこぽんの動画を撮影、カメラでは再生できるがブログにアップロードするのができないので、しばらくお待ちを、、、。P1020246

こんな感じの動画デス。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする