2012.7.10(火)晴れ
本書の基調には江上波夫東大名誉教授の「騎馬民族征服王朝説」の検証ということがある。こういう仮説が存在することは知っていたが、一体どういうものかは知らなかった。考古学者原島礼二氏の文がよく理解できると思う。
「江上氏はまず、三世紀末にツングース系騎馬民族(夫余族)の高句麗が朝鮮半島を南下し、それと同系統の百済王が出現することに注目する。やがてかれらは四世紀の初めに九州の地に上陸し、一世紀足らずの後、すなわち四世紀の末から五世紀のはじめにかけて近畿地方を征服し、強大な王権を確立したとみ、この王家こそ天皇氏だったのだと説くのである」(本書原文のまま)
つまり天皇家の先祖は騎馬民族であったというのがその主張である。この説が提唱されたのが1948年、記録として世に出たのが1949年ということだ。終戦が1945年だから、この説は戦中から練られていたのに違いない。これは凄いことである。
そしてMHK取材班が江上氏や森氏などの学者とともに高句麗(北朝鮮)の遺跡の取材に行く。1992年当時でも取材のための入国は厳しいものがあっただろうけど、日本の占領下時代以来初の調査だろう、画期的なものがある。その時の様子はNHKで放送されたのだろうが、本書には極一部の影像しか掲載されていない。文中では詳しく説明されているのだが、一見にしかずの影像が少ないのは、政治的な制限によるものだろうか。
高句麗の古墳壁画や遺品が日本の高松塚などの古墳のものと実に共通する点が多い。そして遂には日本独特のものである前方後円墳の元祖がこの地に有ることがわかる。そして謎の古墳積石塚(つみいしづか)と四隅突出型古墳である。これらの源流が高句麗、騎馬民族にあるようだ。そして日本では一見大和王権とは無関係な様に存在する。四隅突出型古墳は出雲地方など中国山地に多く、最古のものは一世紀末といわれる。王権成立以前の古墳なのである。そして積石塚のように葺石や貼石がなされていたのである。
三次盆地で発見された殿山三八号墳(四隅突出型)が弥生時代後半の築造とされている。写真は三次市。
さてわたしが知りたい鉄と馬、牧の関係だが、本書では牧や馬具、馬に関する民俗的な事柄など多く出てくるが、直接製鉄との関連は書いていない。ただし、騎馬民族が製鉄の技術をもって渡来していることは確実で、暗に関連のあることを示している。
【作業日誌 7/10】
ジャガイモ収穫(最終)ニシユタカ
種芋準備
室外機カバーグリーンネット用作製
今日のじょん:今日は定休なのでサンショウウオ君を見に行く。先日までの雨で水が多く姿が見えない。諦めかけていたとき足下の瀬にでかいのが居るのを発見、鯉が餌に寄って来るように岩にしがみついている。何も持っていなかったのだが、竹輪でもあれば、食べるんじゃないか。
いつものとこは様子が見えない。
いたいた、何かくれいと言ってる見たい。
でかいなあ。7,80cmはありそう。じょんは?
忘れてた、帰ってからパチリ。