2012.7.17(火)快晴
作日(7月16日)MBSテレビで「謎の古代文字と”太陽の船”が語るピラミッド新たな真実」という早稲田大の吉村教授による、ピラミッドに関する新説を紹介するドキュメント番組が放送された。この種の番組は怪しげなものが多いのであまり見ないのだが吉村教授の手になる発掘や研究は真摯なものであり、数日前から心待ちにしていたものだ。
ピラミッドの傍らに埋められた大きな二艘の木造船の意味は何か、そこに書かれた古代文字の解読から、画期的な新説が紹介された。死亡したエジプトの王は、肉体はミイラとなり保存されるのだが、魂は鳥となって、太陽の神ラーに引きつられて船に乗って西方に行く。やがて太陽のように東から再生を繰り返すというものだ。
番組中に驚いたのは博物館に展示されていたこの太陽の船の絵である。福岡県珍敷塚の装飾壁画の天鳥船とうり二つなのだ。帆のようなものがあって、舳先に鳥がとまっている。
船、鳥、太陽とまるでエジプトと一緒の天の鳥船。
番組が終わると同時に以前に読んだ「葬制の起源」(大林太良)「古代人と死」(西郷信綱)を引っ張りだす。すると日本だけでなくアジアオセアニアにも同様の死生観が存在するのだ。太陽、船、鳥が共通項のようだが、中国の内陸部では船の代わりに車となっている。
古代人の死に対する考え方が世界共通というのは驚きだが、最も古いエジプトの考え方、習慣というものが後刻世界中に広まったとも考えられない。
わたしは人間が考えることはある程度共通しているのではないかと思う。太陽が信仰の根源になるのは当然だろうし、人や物を移動させる車や船が死者の魂を運ぶ道具として考えるのも当然だろう。
問題は鳥である。死者の魂そのもの、あるいは死者の魂をあの世に導くのは鳥となっている。空の彼方、あるいは海の彼方にあの世が存在すると考えた場合そういう所へ自由に飛んでいけるのは鳥である。世界中の古代人がそのように考えたとしても不思議ではないようだ。
鳥居というのは神聖な場所あるいは異界への境界にあるものだそうだ。鳥がこの世とあの世を橋渡しするものだという考えは古代人の思想としてかなり定着したものであったようだ。
吉野ヶ里遺跡の門、鳥居の原形か。(2007.4)
鳥垣(睦寄町)の地名について書いてきたがその語源に鳥そのものを考えたことはなかった。坂尾呂神社の鳥居については考えたが、あくまで鳥居であって鳥では無い。しかし古代人に前述のような考え方があるとしたら、鳥垣は「鳥の里」という意味があるのかも知れない。鳥とは現実のbirdではなくて、あの世とこの世を繋ぐ鳥である。
鳥垣の古墳、獅子鼻、吉水
そう考えるのはやはりこの地の古墳群である。鳥垣には現在14基の古墳がある、上林ではこれほどの古墳が存在する箇所は無いだろう。その古墳が集中した谷や尾根の麓にある集落が「鳥の里」とよばれても不思議では無さそうだ。
ただ、同様の地域に鳥地名があるか否かまだ調べてはいない。従って鳥説は仮説にもならない単なる思いつきである。エジプトの番組を観てふと気づいたことである。
【作業日誌 7/17】
草刈り(4-3)
今日のじょん:梅雨明けだ。天気に関しては先日から言っていることがずばり的中している。それにしてもあじーなあ。。カンカン照りの中うんPする場所も定まらない。