2012.7.19(木)晴れ
4.この岩はどういったものか。
何かを採鉱した坑道跡ということは充分予想されるのだが、ここがどのような地質で何時、何を掘ったかということについては現在のわたしには何もいえない。あえて空想するとしたら、この岩石は丹波帯のチャート層で、掘られた鉱物はマンガン、時期は戦前以前としたい。今後専門的知識のある方に依頼して正確なことを調べてみたい。
左の壁や底の部分には鏨の条痕らしきものが見える。
5.猪鼻におけるマンガン坑のこと
猪鼻に著名なマンガン鉱山はない、しかし中小の鉱山が複数あったようだ。西山さんの話では猪鼻岩の上部に当たる深山には数多くのマンガン坑口があるということだ。また加用の高橋さんの言では猪鼻川下流大身に向かうあたりに鉱山があったということだった。いづれいくつかは確認したいところだ。
「産土今昔夜話」には冠石(かむろいし)峠の冠石、乞食岩(こじきゆわ)、夫婦岩(めおとゆわ)などの奇岩があったが、戦時中硅石商人がダイナマイトで割って金に換えてしまったとある。従って総ての坑道がマンガン坑というわけで無く、硅石の坑道もあるのかもしれない。
次に猪鼻岩にまつわる話をまとめておこう。
西山さん宅の家のすぐ下の小道が旧の街道で冠石峠を越えて三宮に通じているが、かなり細いもので戦後進駐軍のジープがここから先へは進めなかったというはなしが伝わっている。しかし「産土今昔夜話」には昭和17年に新道をつくり、その際に猪鼻岩が猪に似ていると発見されたという風に書いてある。もしこの年代が確かなら、進駐軍の時代には新道が出来ていただろうからジープの話は怪しいものとなる。
いづれにしても新道が出来て注目されるようになった岩のようだ。それまでは岩のところまで田んぼが続いていて、田んぼから山の斜面にかかる位置に岩が存在したようだ。
この新道工事の際に爆破して取り除く計画になっていたが、発破の人夫がとんでもない腹痛に襲われ、村の古老が岩の祟りかもと言って塩で清めて詫びを入れてやっとおさまったそうだ。工事の頭取もその猪の形に驚いて、発破で破壊するのを中止し、昭和60年の改修工事にも取り除かれることはなかったそうだ。
腹痛云々の話はよくある話だが、年代的なものが正しければ、戦中にすでに猪の形をしていたことになり、仮にマンガン坑跡であるとしたら、採掘されたのはそれ以前ということになる。
西山さん宅から猪鼻岩をのぞむ。直線50mぐらいか。
西山さんは自所であるにもかかわらず、猪鼻岩の穴については何であるかお話が無かった。先祖からの言い伝えも無いようである。物心ついたら今の状態ということだったが、それ以前のことが家に伝わっていないということは、かなり古くにあの穴が掘られたのかも知れない。丹波のマンガン鉱山は明治期の後半あたりから盛んになったようである。西山さんのおじいさんぐらいの代にあの位置で何かを掘っていたら言い伝えがあっても良さそうと思うのだが、もっと古い時代のことだったら解らないかもしれない。もっと古い時代だとすると、マンガン以外の有用鉱物かもしれないし、そうなるとこれは事件である。つづく
今日のじょん:あっおかーが帰ってきた。ドタバタドタバタ走り回って、カーテンの隙間のよしずの先を必死でのぞいている。尻尾は180度の往復びんたで、手すりに当たってコンコンコンコンと音を立てている。帰宅をこんなに喜んでもらえるものは世の中そーいないだろう。