2013.7.3(水)雨 京都帝釈天(14)、(13)は2013.6.29
7月2日(火)に南丹市八木町の八幡神社、荒井神社、西光寺を訪れる。
南丹病院の歯科治療も終盤に近づいてきた、この日が終わるとあと二回の治療となる。遠い病院での治療は大変だが、ついでにと行ってみた京都帝釈天からこの地への興味が拡がってきた。それは近辺に別所、飯盛山、日置など研究中の地名が存在したからであるが、帝釈天の石灯籠に多くの盃状穴を見つけた事もある。
久留守神社、船井神社に盃状穴は無くて少し気落ちしていたのだが、式内社嶋物部神社に比定されている荒井神社、鏡通信の伝承があるという飯盛山西光寺は盃状穴に関係なく行ってみるべしと思っていた。
南丹病院から桂川右岸沿いの府道を北上する。吉富小学校の前を通り過ぎたとき八幡山の麓に鳥居が見える。予定にはないのだが何かありそうな気がしてUターンして、鳥居の前に駐車する。どうやら八幡神社というらしい。
カメラだけ持って、鳥居の石段を観察すると、あるある、きれいな盃状穴がいくつか。あわてて盃状穴三種の神器や取材ノートを持ち出して観察する。鳥居下石段は4段あり、はっきりしたものは3個、不鮮明なものはいくつかある。
2段目 2個、大きい方で直径6cm、小さい方が4cm
4段目 1個 直径4cm
石段脇の欄干状スロープの最下段の留石(何というのかわからない)に不鮮明だが
窪みがある。盃状穴でないことは確かだが、何となく人工のもののようだ。本殿には石灯籠があるが、鳥居前には無いので灯りの蝋燭立てかもしれない。特に左のものは底部が黒く変色しており、炭化しているようにも見える。
右の石
左の石、炭化跡か。
石段の盃状穴に気をよくして、本殿周囲もしっかりと観察する。ところが予想に反して灯籠にも石段にも境内社周辺にも、周囲の石垣や捨てられた石材にも見当たらない。そして本殿前石段左の木の陰になっている手水鉢を見てびっくり、本やインターネットの画像でしかお目にかかれなかった手水鉢縁のなんとも立派というか不気味な感のする盃状穴のオンパレードにお目にかかった。つづく
手水鉢は木の陰(榊?)に隠れている。
【作業日誌 7/3】
梅干しシソ入れ、3Kg分
【今日のじょん】おとーは二日酔いでぐったりきているんだが、?んでないじょんまでぐったり寝ている。以心伝心わかるんかなあ。
こらっ起きて仕事せんかい。