2013.7.11(木)快晴
「実はこの本にそういう伝承のことが書いてあるのですが、お心当たりはないでしょうか?」ということで岩田女史の書かれた「飯の森の秘密」をお見せした。
「何年か前にこの方が訊ねてこられて、お話ししたことがあるのですが」ということで鏡通信のことをお話しいただいた。
鏡通信の真実は以下の証言に表されていると思う。
「そこに明治記念碑という案内がありますが、尾根を登ると五十mほどの所に石で作られた塔があります。その塔に穴が開いていて、かつては鏡がはめ込まれていました。何年か前に朽ちてきたのでアルミかなんかの盤に変えたことがあります。その塔は明治の時代に西南戦争の戦没者を弔うために京都府が建てたもので、その鏡の反射光が老の坂峠から見えたという伝承があります。そのことが御所との鏡通信という話に発展したのではないですか」
「その明治の塔に鏡をはめ込むという発想は、いにしえの言い伝えがあってのことではないでしょうか」
「それはあるかもしれませんが、そのような話を聞いたことはありません。京都府がこの地を選んだことは、京都府の地図を二つ折りにしたところこの地が真ん中とされたためだったとは聞いています。」
本堂(阿弥陀堂)から明治祈念碑の尾根を望む、距離的に見るとピークではないようなのだが。
明治記念碑というのは、西南の役の殉職者104名が祀られているということだが今では参拝する人も居なくて荒れていると言うことだった。塔の上部に鏡がはめ込まれていたことは事実のようだがその理由も明らかでない。
老の坂のどこかでその光が見えたという話はあり得ることだし、実験も出来ないことはなさそうだ。
本堂(阿弥陀堂)、仏教でも神道と同様鏡というのは重要なアイテムだということだ。本尊の前に鏡があるということはご住職にもお聞きした。
ご住職がどのようにお話しされたか、岩田女史がどのようにお聞きになったかは知るよしもないが、信頼できるのは明治期の記念碑の鏡の話までではなかろうか。
それよりも気になるのは、西光寺の上にある飯森山が、何らかのレイラインになっていないかということである。
そして今ひとつは荒井神社の問題である。つづく
【今日のじょん】
かんかん照りの散歩を躊躇していたら、今朝は曇り空となった。チャンスとばかりに」連れてったら、いつも通りの元気が出たようだ。暑くてもちょいと出ることがいいみたいだ。