晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

飯盛山(10) 飯盛山西光密寺(2) 7/10

2013-07-10 | 飯盛山

2013.7.10(水)快晴 飯盛山(9)は2013.7.7

 7月2日、八木町西光寺、荒井神社を訪ねたのだが一つの目的は盃状穴探しである。八木町鳥羽の八幡神社に強烈な盃状穴を見つけて、こちらにも有りやという期待を持って訪れたのだが、一つとして見つけることは出来なかった。もう少し沢山の社寺を訪れないと言えないのだが、盃状穴の有無と社寺の格であるとか歴史であるとか祭神、宗派などは無関係であることが予想される。
 飯盛山西光寺は真言宗神護寺派のお寺だが、天平宝勝8年(756)僧良弁の開基と言われている。これが本当ならずいぶんと古く由緒のあるお寺ということになるが、ほとんどの社寺同様素直に受け取れない。ただ文覚(もんがく)上人(1139-1203)の得度や再興といった事柄はこの地方の文覚の伝承や遺跡から見てもありうることと思う。
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西光寺参道入り口の「文覚上人得度地」と書かれた石柱

文覚・西光寺→神護寺→和気清麻呂といった相関関係もあるようで、京都帝釈天の和気清麻呂創建説もこの辺りに根拠があるのかなと想像する。
 ともかくこの日の西光寺訪問は、盃状穴探しと、鏡通信伝承の確認である。広い境内をいつものように舐めるように見渡して盃状穴は見つからず、鏡通信伝承の確認にとりかかる。
 古代に鏡通信というものが果たして存在したかは別として、このお寺の山、飯盛山から老の坂峠方面の山頂、あるいは山稜に光が届くことは充分考えられる。そしてその山頂の位置によっては直接御所に届くことも可能であろう。中継点では直接反射させられなくても、読み取った信号を移動した後に御所に送ることもできるだろう。
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参道から庫裡の奥に山稜が見えるが、こちらからは三角錐の神奈備状には見えない。


 近所の人ならこういった伝承をご存じの方もあるかなと思い、人影を探したのだが、真夏の日中とてだれも歩いていない。幸いお寺には自家用車も止まっており、住職がおられるようだ。呼び鈴を押すと住職が出てこられた。簡単な挨拶の後、聞き取りを始める。
 「こちらのお寺と御所の間を鏡で通信していたという伝承を調べているのですが、そういう話は伝わっているのでしょうか?」
 「そういう話は聞いたこともありませんし、何度か火災に遭って古いことを書いたものも残っていません」

 意外な答えである、書いたものまでなくてもどこかで聞いたことがあるというような回答を期待していたのだから、、、 つづく

【作業日誌 7/10】
草刈り(4-1)

【今日のじょん】梅雨明け十日の猛烈な暑さがやってきた。毛皮をまとったじょんくんはさすがに暑そうである。そんなわけで朝の散歩は中止し、オシッコうんことかるいぽんぽこぽん、そしてけーとくちんだけで済ましている。とにかく朝の8時というとそこいら中かんかん照りなのだ。
 ところがじょんの様子がちとおかしい、なぜか言うことを聞かないで不服そうなのだ。散歩に行かないことがどうも不服らしい、じょんのためにやめてるんだけどなあ。明日からちょっとだけでも行ってやるかなあ。P1040811



暑さでへたったまま水飲んでいる。あ~しんど 



 

コメント
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