2013.7.4(木)雨 京都帝釈天(15) 京都帝釈天の参道石灯籠に盃状穴を見つけ、この地に盃状穴を穿つ風習があったものと考え久留守神社、船井神社を訪れたが発見できなかった。次に訪れた荒井神社、西光寺にも発見できなかったので、八幡神社で発見できた意義は大きい。広く一般的な風習ではなくても、この船井の地に盃状穴を穿つ行為が認められていたものと考えて良い。もちろん石造物の年代から、これらは二義的盃状穴であり、近世末以降のものと考えられる。
八幡神社問題の手水鉢は本殿前石段左下の木の陰にそっと置かれている。縦70cm、横42cm程度の小降りのもので、その水鉢の縁に所狭しと穿たれている。
手水鉢の縁に穿たれている盃状穴はインターネット上の画像ではよくみるが、実物を見たのは初めてである。手持ちの資料では栗東市の泊瀬部神社の手水鉢の盃状穴が最も近く、そのうち行ってみようかなと思っていたところなので、ここで現物を見つけるというのは実は大感激なのである。しかも行く予定のなかった神社で見つかったのでなおさらである。
手水鉢は割合小ぶりのものであり、正面に亨保七寅年の銘が見える。
この手水鉢には亨保七寅年の銘があり、本殿前の二基の石灯籠も亨保七年寅年九月吉祥日(1722年)の銘があるので、同時に整備されたものと考えられる。
ところが石灯籠はじめ、本殿の周囲には盃状穴らしきものは一切見当たらず、手水鉢だけに強烈な盃状穴があることに違和感を憶える。しかし年代は同一なので、手水鉢だけが他から持ち込まれたという風にも考えられない。
手水鉢の盃状穴は鉢の縁に沿ってびっしりと穿たれており、半分は苔に覆われている。苔を落とさなくても大きさや個数はわかるので、残しておくことにした。直径は大きなものが8~9cmで3個あり、個数は合計で約28個である。
結局八幡神社の盃状穴は鳥居下石段と手水鉢のもの以外には見つからなかった。
本殿前には手水鉢と同じ年号が入っている。
本殿の周囲、摂社、石垣には盃状穴は見つからない。
考察
穿孔行為が周囲に認められていたと考えるのは、どちらの盃状穴も住居の密集した地域にあるということだ。あれだけの数と大きさの盃状穴を穿つのは人目を避けて行うのは不可能であろうし、ましてや子供のいたずらなら大人がとがめるだろうから、やはり認知された、あるいは黙認された行為であろうと考える。
それにしても石段に穿たれた盃状穴に比し、手水鉢のものはなぜもこう異様な大きさと形になっているのだろう。文献や資料でみるものも同様で、ここ八幡神社に限ったことではない。つづく
【作業日誌 7/4】
梅干しのシソ入れ完了
手前の瓶にしそを入れて完了、次は土用干しだ。
【今日のじょん】この地方ではやっと梅雨らしい天気となってきた。田んぼや畑にとってはやれやれというところだが、各地では水害のニュースも聞かれている。全く思うように行かないものだ。湿度がぐんと上がって身体に応える。じょんも今日はこの通り、、、。ウラメシじょん。