2013.7.28(日)晴れ、曇り 飯盛山15)は2013.7.25
「大和の原像」の中に二上山(ふたかみやま)の落陽という節がある。二上山は奈良県太子町の東、香芝市との境近くにあり、雄岳雌岳の双耳峰で東の三輪山とともに古代の重要な山である。二上山の鞍部から真東に進むと、三輪山の南西に「磯城瑞籬宮跡」(しきのみずがきのみや)と伝えられている天理教敷島大教会がある。この地点から春分秋分の日の落日は二上山の鞍部に沈むということになる。そしてこの地から見ると冬至には富士山型の外鎌山の頂上から、夏至には三輪山の頂上付近から日の出が昇るということだ。
つまり日の出は山頂が、日の入りは鞍部が観測しやすいということである。暦が無い時代に太陽の観測をして春分や秋分の日を確定するのは国家の重要な仕事であったと思う。農耕にとっては播種などの日取りは収穫に大きく影響するからだ。
そういう意味で西光寺の上部にある飯森山のコルに注目する。このコルに春分秋分の日が沈むのを観測できるところは、その真東となる。日没が目視できる真東を辿っていくと何とそこは日置の地になるわけだ。
この地方を初めて訪れた時、最初に訪れたのは日置である。なぜって日置はもっとも興味ある地名であり、この時点では飯盛山のことも気づいていなかった。
八木町日置遠望
日置は上林にも有り日置谷(へきだに)、日置殿町などがある。付近でも夜久野、宮津などにあり、全国各地にある地名なのだ。日置地名については、「ひき、へき、ひおき」など様々に呼ばれ、様々な説があるが、納得のいく答えは出ていない。その中で太陽観測、日読み、測量、浄火の管掌といったものがあり、わたしは現時点ではこういった分野の氏族日置氏にかかわる地というのが妥当だと考えている。現時点というのは、かつては金属に関わる氏族、土地という風に考えていたのだが、それは将に「古代の鉄と神々」(真弓常忠)、「知られざる古代」(水谷慶一)の論争(実際は論争にはなっていないのだが)そのものである。
そんなだから、飯盛山の真東、つまり春分、秋分に日没を観測できる地点が日置であることに驚愕を覚えたのである。つづく
西光寺のコルを西から撮ったものが無い、最も近いのがこれ、西光寺の墓地下の駐車場から見上げたもの。
【今日のじょん】草刈り行進曲
業者による府道の草刈りが終わった。全然満足はいかないが業者の契約はおそらくこんなものだろう。歩道のペンペン草ぐらいはとってほしかったと思うのである。仕方が無いから溝さらえは我が社でやるか。
【作業日誌 7/28】
柳影をやってかい(3日目)