2014.1.31(金)晴れ
澤先生の睦志は空無所つまり両墓制の詣り墓としているのは合点がいかない。無所→虫→睦志となったと仮定しても、無所は本来の墓、ホウリカであるはずで、両墓制でいえば埋め墓、捨て墓のはずである。先生が睦志に来られて目にされたのは屋敷墓と書いておられるが、これは両墓制における詣り墓で上林ではどこでも見かけるものである。どこにでもある物が地名としてとあるところに付くのは不自然であるし、地名として残るのならば、両墓制が発生するより以前の時代のまだ石塔や卵塔がみられない葬地ではなかろうか。現に氏は睦志についての文の終わりに次のように書いているのである。
両墓制は各地にあり、丹波にも多いが、愛知県では両墓制のことをムショ、またはラントという。死骸を埋めるところ、それは山裾であるが、そこをムショという。ムショには普通詣らない。詣るところをラントという。
この文からしても虫が無所ならそれは埋め墓であるべきと思うのだが。
それでは墓地、葬地が地名として残るものなのか、綾部、福知山(旧福知山市)の小字を拾ってみた。
意外に多くの地名が残っている。もっとも目に付くのが塚地名である。塚ノ下、塚ノ上、塚向いなどは墓地を示すようだが、古墳をさす場合もあるようで、古墳も墓には違いないがいわゆる死穢忌避感というものは湧いてこない。例えば上林鳥垣の古墳が残る谷を塚ヶ谷というのは明らかに昔の人が古墳を意識してつけられた地名だろう。
鳥垣6号墳のある地域は塚ヶ谷という。
次に多いのが墓そのものを表す地名である。墓の下、墓ノ脇のように墓からの方向や位置を示す地名がほとんどである。このことは墓地というものが固定的、保守的な場所であることを表している。墓地というのはそれが出来てから、農地になったり宅地になったりしないということがいえるのではないだろうか。だからこそ誰にも認識できる場所であり、その下だとか、その向かい等という地名をつけるとその場所も誰にでもたやすく認識できることとなる。
サンマイ、三昧という地名も割合見かけることがある。サイマイというのは諸説在るが埋葬墓地、両墓制でいえば埋め墓、捨て墓にあたるもののようで、墓地の呼び方としてはもっとも古いものと考える。つづく
【作業日誌 1/31】
冬野菜片付け、残っているのは大根1本とブロッコリー。一畝をジャガイモ用に準備中。
【今日のじょん】朝、いつもの散歩道に穴ぼこ発見。猪が草の根を掘ったみたい、かわいらしいもんだけどこれって本格的になると堤防が崩れるまでになるのよね。
【ぎっくり腰情報】11日目 相変わらず、日常生活には問題ないが、重いもの、寝返りなどには違和感を感じる。