2014.2.25(火)晴れ
森先生は日本で本格的な製鉄が行われたのは6,7世紀頃だろうと言われている。つまりそれ以前の鉄は舶載品もしくは原料を輸入し、国内で精錬、加工されたものとされている。かつては弥生時代の遺跡から鉄滓が発見されたことから、弥生時代に製鉄が始まったという説が主流だったようだが、その後の研究で、鉄滓が製錬滓ではなく鍛冶滓であることなどが明らかになってきたり、鉄原料素材としての鉄鋌や鉄棒などが発見されるに至って、国内製鉄の開始時期は随分時代が降ることとなったようだ。
こういった考えはどうやら現在のところ定説となっているようだが、私自身は俄に信じられないという感じであった。その辺りのことは以前に書いたのでここでは省略するが、本書では解りやすく解説されている。
わたしが混迷していたのは、鉄に関して読んだ本が1980年代のものが主流で、歴史上の鉄について暗中模索の時代であったのかと思う。最も新しく読んだ本が、「理系の視点からみた考古学の論争点」(新井宏著)2007年8月発行で、「金属考古学上の諸論争」の中の「弥生時代に本当に製鉄が行われていなかったか」というところで、森先生と同様の説を科学的に述べられている。本書「鉄」の発行が1974年であるから、如何に先生の先見性というのが的確であるかと言うことがわかる。
しかし弥生時代、古墳時代の初期に国内の製鉄がまるでなされなかったは言われていない。小規模ではあるが行われていた可能性を述べられている。わたしはそれこそがすべてをまかなえるたたら製鉄の基礎になったのではないかと考える。
森先生の論評の中に何度も園部垣内古墳の遺物が出てくるが、小山別所の調査で訪れ、たまたま盃状穴を見つけ、また森先生が発掘に尽力されたことを知ったとたんに訃報を聞くこととなったなんとも因縁深い古墳であると思い返している。おわり
垣内古墳は保存されることなく、石碑だけが残った。多くの鉄製品が出土しているが、鉄滓は中世のもので古墳跡に炉が作られたようだ。
【作業日誌 2/25】
薪割り
【今日のじょん】水道の検針に行ったら、どんべえに吠えられた。じょんと一緒だと決して吠えることは無いのだけど変やろ。生え替わりの時期みたいで毛がぼろぼろになっている。