2014.2.17(月)雨
穴地名についてまず綾部市の小字を調べてみる。やはり現地に行きやすい所から調べてみたいのと穴虫地名のある所がいいと思うからだ。
睦合町小田穴谷、西原町塚穴、上杉土穴、上杉町穴虫、白道路町穴戸、志賀郷町穴堂、大島町穴見
すべての位置が地図上に確認出来るのだが、地形図や航空写真でその意味や語源が特定できるものは少ない。何となくそれらしい感じがするものが穴谷と穴虫である。それ以外の穴地名の場所はいずれも平野部にある一個所で、現地に行かない限りその場所の特徴は解らない。現地に行ってもわからないかもしれない。例えば塚穴などと言うところは古墳があったりするのかなと期待するのだがさて。
穴の意味が活きていると思われる地名が、睦合町小田の穴谷である。ただしこの谷が特別に穴のような谷、すなわち両岸が迫って穴に入っていくような谷でもなさそうなのである。むしろ端的に以前に紹介したアナ地名の意味には該当しないのだが、新たな意味を発見し、その意味に近いのでは無いかと思われるのだ。
それは「吉備の古代史」(門脇禎二著)の吉備の穴海(戸)という一文である。
大和国家は、早い時期の瀬戸内航路を”島”と”穴”というかたちでとらえていたらしい。
中略
”穴海”は、島で囲まれた沿岸部が袋穴のように入りこんだ海峡をいう。
中略
ただ、『記』では、同じ倭建御子が熊曽建のほか、「山の神、河の神、また穴戸の神と皆言向け和して参上りたまひき」と「穴戸」を普通名詞として用いている。
と続くわけで端折って紹介したのでわかりにくいかもしれないが、古代に重要な航路であった瀬戸内海の島々は島と呼び、その間の海を穴と呼んだようだ。瀬戸内では穴は一般的に流れが速く、瀬戸となっている。そして島々に囲まれた内海を穴海と呼んだようだ。
これで長門国がかつて穴門、穴戸国と呼ばれていたわけがすっきりと解った。「大和の原像」の中で「太陽の落ちる大穴のある国」と書かれ、なんとも納得がいかない感がしていた。
備後国の安那郡(やすなぐん)は本来アナと称し、芦田川河口の海を「穴の海」と呼んだ。また児島付近の海も「吉備の穴海」と呼ばれた。(古代地名語源辞典)つづく
【今日のじょん 2/17】
昨日の雨で随分雪が解けてきた。あれほど待ち焦がれた雪解けなんだけど、丸太が出てきたら薪割りせんなんな、芝生が出てきたら草引きせんなんなと気ぜわしくなる。とにかく今日はじょんのうんP片付けだ。