2014.2.11(火・祝)曇り
穴虫地名が香芝町の穴虫、穴虫峠だけであったら、小川光三氏の大穴道説は納得のいく唯一の説となるかも知れない。しかし各地に穴虫があり、香芝町の穴虫と違う状況が出てきたら、穴虫の語源は他に求めなければならない。
次に訪れた穴虫は、亀岡市千代川町の穴虫で、地形的には穴虫峠と同様でしかもその東には丹波国府推定地があるのだ。国府から見ると、太陽は西の穴虫に落ちていくことになる。
しかしその次に訪れた河原林町の穴虫は真東に国分寺跡はあるのだが、地形的には河岸段丘で、太陽が大穴に落ちてゆくというような状況ではない。
大津市北大路三丁目の穴虫池、中穴虫池、上穴虫池はそのすぐ近くまで行きながらも現物は見ていない。この穴虫池の東には瀬田川を挟んで近江国庁跡がある。ただ三つの穴虫池は南西方向に列んでおり、国庁から見ても太陽が穴虫に沈んでいくという風には見えないだろう。
このように他の穴虫を見ていくと大穴道説はすべてには当てはまらない様に思える。
ここで他の説に対する検討に進むのだが、その前に気になる共通点が現れてきた。いくつか調べた穴虫に鉱山が多いことだ。
香芝町穴虫峠、金剛砂(石榴石鉱床)
大津市北大路町三丁目穴虫池、焼野鉱山(マンガン鉱床)
穴虫池は焼野鉱山の跡とか、水が抜かれたところに見えるのは坑道の跡ではないか?
千代川町北ノ庄穴虫、行者山を挟んだ南に大谷鉱山がある。タングステンの著名な鉱山だが、元々は銅山として開発された。(タングステン、錫鉱床)
稜線の窪んだところが穴虫、その左手のピークが行者山、大谷鉱山は更に左手(南)の麓に在った。
宍粟市一宮町、与謝野町男山の穴虫も古代の金属関係の匂いのするところである。これらは今後の調査を待つことにして、先日読んだ「播磨地名伝承の探索」でも谷川健一氏編の「金属と地名」の中でも、”穴”というのが坑道を表すという風に言われている。もちろん”穴”のすべてが坑道というわけではないだろうが、ここは穴虫を穴と虫に分けて考察する必要があるのではないだろうか。つづく
【作業日誌 2/11】
じょんのシャンプー台、脚の作製と塗装
冬の塗装は手間が大変、村上さんに頂いたシートが大活躍。
これなーんだ?・・・・答えは明日。
【今日のじょん】4日から連日の降雪で、そろそろ食傷気味になってきた。じょんも散歩が足りない様子で、朝の運動はすこぶる元気。変化をつけて雪山ぽんぽこぽんやっても簡単にこなしてしまう。
【ぎっくり腰情報】もう忘れていたので、昨日をもって完治としておこう。実に3週間の闘病?である。でも正味の痛みは3日間、残りの18日間は日にち薬というところか。