晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

洞峠(1) 10/16

2011-10-16 | 山・峠

2011.10.16(日)快晴

 ぐずぐずした天気の合間にぽっかりと好天の一日でした。第14回洞峠の風にふれあう交流会に参加しました。村上さんが参加され、同乗させて貰い古屋の下の橋のところに集合しました。P1000017

古屋の下の橋のところに集合。


 挨拶、案内の後軽トラに分乗して、林道を登って行きます。終点の広場で降りて、ここから歩いて登ります。上林側は47名とか、美山側も30数名とかで同時にスタートしているようです。
9:30  集合
9:50  林道終点スタート
10:02 一番目の地蔵堂
10:35 二番目の地蔵堂
11:10 峠着、記念撮影、記帳、昼食
12:05 峠スタート
12:47 古屋駐車場着

 昨日までの雨で、大岩の滝もそうですが草壁川も水量が豊富です。流れ込む支流もきれいな山水が豊富で、いかにも水源の里の風情です。やがて右側の斜面に取り付き、第一の地蔵堂に着き地増堂の謂われなど説明を聞きました。明智光秀の云々ということでしたが、帰りにこの地蔵をよく見たところ慶長??年の年号らしきものが刻まれていました。この年号が正しいものであれば、光秀の時代は終わっているので、光秀との所縁は無いものでしょう。P1000018 P1000030
 
第一の地蔵堂とお地蔵さん、銘は両肩にあります。


 30分ほど尾根をジグザグに登って行きます。やがて平らな地形のところに出て、第二の地蔵堂があります。この地蔵には銘は無いようですが、年代物の地蔵ではあります。
 その先の谷の左岸に立派な栃ノ木があります。栃ノ木の大きさにも驚きますが、これほど登ってきたところにも沢が流れていることに驚きます。P1000019 P1000021_2 P1000024 P1000025
 
峠のひととき。


 本来は美山側に降りてゆっくりしたかったのですが、営業日なので逃げるように帰ってきました。

今日のじょん:キヌガサダケが心配で今日もやってきた。相変わらずじょんは違うところばかり臭いでいる。蛇の卵かどうかじっくり観察すると、半分開きかけており、やっぱりキヌガサダケだ。良かった。明日辺り出てくるかなあ。P1000009 P1000008_3

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じょんのび秋のイベント 10/15

2011-10-16 | 日記・エッセイ・コラム

2011.10.15(土)曇

 明日16日は第14回洞峠の風にふれあう交流会に参加します。本当は美山側に下りたいのですが、営業日なので上林側古屋に下りてくる予定です。小川さん、中尾さん、井上さん、そして村上さんも参加されることになりとても楽しみにしています。
 
 21日金曜日はじょんのびハイキング、鳥垣渓谷~シデ山~小栗峠~弓削道~瀬尾谷のコースです。小林さんが都合で行けなくなり、中尾さん親子と私の3人になってしまいました。寂しいので参加できる方はご連絡ください。

 22日土曜日はいこいの村まつりで、カフェじょんのびも出店を出します。今までは店を休んで出してましたが、今年は両店とも開店していますので是非いらしてください。なお、いこいの村まつり店ではコーヒー、アイスコーヒー200円で提供しています。他に多くの出店や楽しいイベントもあります。

 11月13日(日)は建田の金刀比羅さんの大祭、今年は忠町に行く予定です。

 このように秋はイベントが目白押しなんですが、他にも行ってみたいが行けないのが弥仙山の山行、大江の全国鬼サミット等々です。Img_3757

大江山口内宮駅で見つけたポスター。 


 大体イベントは土曜日曜に集中していて、土日に仕事のある人は永久に参加できないこととなります。例えば社寺の行事などは縁日など昔から決まった日があるのですが、日曜日に替えて開催されているケースが多いようです。金刀比羅大祭なども十日が決まりの日なんですが、3年前から10日に近い日曜日になったそうです。多くの人に来て貰いたいという気持は解るのですが、新しいイベントで集客の必要があるものはともかく、古来からの宗教的行事などは決められた日に開催して貰いたいものです。Img_1183

昨年の金刀比羅大祭は佃町で、11月7日(日)に行われました。月祭りは10日に行われています。(2010.8.10)



今日のじょん:先日から観察しているキヌガサダケの卵(本当は壺というのだけど)だが、今朝も相変わらずの様相をしている。じょんは周辺は嗅ぎまわっているがこの卵には近づかない。ところが夜になって本当にキヌガサダケなのか、実は蛇の卵じゃないかと不安になる。インターネットで調べてみるとサイズはともかく、形状と柄はまるっきり一緒だ。大蛇の卵やったらどーしょう。P1000007 P1000004

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健康診断 10/14

2011-10-15 | 日記・エッセイ・コラム

2011.10.14(金)雨

 恒例の定期健康診断に行ってきました。いつもながら思うことですが、病気の心配など無い40代に高いお金払って人間ドッグやって、そこらじゅうガタが来だしたこの歳にはお金がなくて健康診断しか出来ないというのは、マーフィーではありませんか。それにしても年々歳々各種数値は悪化の状態が進み、今年は絶対的自信のあった血圧まで最測定されることになりました。なんでも130以上は二度測るそうです。幸い二度目は120台で事なきを得ましたが、人間ドッグ時代は低血圧症と言われていたのです。
 前立腺がんや肝炎ウィルス検診と言っても血液検査するだけだし、大腸がん検診っても検便出すだけで、あっという間に終わりました。こんなんで本当にがんがわかるんかいな、ペットやなんやとお金持ちがやってる検診とどう違うんかいなと返って不安になります。事ほど左様に随分いろんな病気の疑いを掛けられました。怖ろしくなって再検査に行くと、医師は何事もなかったかのように「ああ大丈夫ですよ」なーんて言うわけです。
 結果は一月ほどかかりますが、数値は悪くなる一方でしょう。病気でなくても充分に病気予備軍なわけです、何もしないで健康を維持できる年齢では無いようです。そろそろ真剣に何か考えなくては、、、。
 帰りは舞鶴でデジカメとプリンターを購入しました。どちらも性能が良くなって値段が安くなっていることに驚きます。初めて買ったプリンターなんて20万円近くしたように思います。もっとも30年近く過去のことですが、、、。今日なんか最新の複合機で1万6千円ですよ、、、一体なんだったんだ。
 てなわけでカメラが使えるまで写真映像はありません。悪しからず。

今日のじょん:なんじゃかんじゃと設定なんかしたりして、やっぱり初めての写真はじょんでなくては、、、、てんで撮った写真がこれ。しまりがねえなあ。P1000001

 

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続・じょんのびアラカルト’11.10  10/13

2011-10-14 | 日記・エッセイ・コラム

2011.10.13(木)曇、雨

 《じょんのびファーム情報》
 秋蒔き種の発芽が悪くて白菜は0%、大根は20%ぐらいです。どうも種の保存の方法が悪かったようです。もっとも使用期限はとっくに切れています。ただし、慌てて新品を買ってきた白菜の種も発芽しませんでした。(金返せ!)
 ところが捨てる種あらばもらう苗ありで、とあるところから育ちすぎの苗を戴き、周囲の心配をよそにぐんぐん育ち、防虫ネットを突き破らんかなという状態になっています。Img_3970
手前から大根、アスパラガス、うまい菜(一列目)九条ネギ、ヒスイナス、オクラ(二列目、オクラは種採り用)ホウレンソウ、キタアカリ、秋ナス(三列目)馬鈴薯(四列目・手前が丸のまま、向こうが切ったもの)白菜(五列目)とまあ、欲どおしい畑だこと。

 大根は後日有りったっけの種を蒔いたらなんとか発芽し、もったいないのでマルチ穴を増やして、超過密に植え込んでいます。果たしてどうなることやら。
 馬鈴薯(ニシユタカ)は順調に育っていますが、大きな種芋はもったいないと切って植えたのは失敗でした。六片植えて育ってきたのは二本だけ、やはり夏の植え付けは丸のままがいいようです。その代わりといってはなんですが、間引きした茎を数本植えつけてみました。これが芋になるかどうか、楽しみなところです。
 キタアカリは夏植には不向きということでしたが、やっぱり芽が出てきません。来春まで土中で生き延びて芽が出てくれば御の字です。

 《阪神ゴーヤ》
  カンカン照りの暑いときにちっとも育たず、すっかり涼しくなって日も短くなってきた頃盛りと茂り、まるで今年の阪神のようなゴーヤでした。それでもチャンプルーの味を楽しませて貰って、来年用の種もしっかり採りました。次の好天には撤去しようと思います。Img_3969
Img_3960
阪神ゴーヤとてっぺん櫨。 


《変な紅葉》
 紅葉にはまだ早いのですが、じょんのび谷の南京櫨(なんきんはぜ)の一本が紅葉し始めました。「おっいよいよ紅葉が始まるぞ」と思いきや、その一本だけ、しかも上部の数十センチだけが紅葉しました。こんなん有り?

 《秋にも出るぞ、キヌガサタケ》
 これはニュースです。キヌガサダケの卵を、それも三つも見つけたのです。
例年6月の中下旬から7月中下旬の間に出てくるものですが、条件さえあえば出るものなんですね。そういえば昨年11月23日弥仙山の帰りの山道でその日に出たらしきキヌガサダケを見つけました。Img_1811
 
昨年、改心の道で見つけたキヌガサダケ。


 今回のはじょんのび水道の調子が悪くて、裏の林に入ったところで見つけました。周囲は猪の堀痕だらけで、よくぞ残っていたかという感じですが、大きさは初めて見る大きさで、しかも三重連なので驚きます。明日からの天候、猪の害が心配されます。Img_3965

スケールがないのでゴム手を置いてみました。



【作業日誌 10/13】
草刈り(8-2)
馬鈴薯土寄せ

今日のじょん:昨日サっちゃんが遊びに来た。つよ~い女どもの中で一番強そうだ。今年はじょんカレンダーやめて、「じょんのび村のゆかいななかまたち」のフォトブックをつくろーかな。Img_3961

サっちゃんにはけートラがよく似合う。  

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じょんのびアラカルト’11.10  10/12

2011-10-13 | 日記・エッセイ・コラム

2011.10.12(水)快晴

 「上林の情報を載せてヨン」というお声が多く上がっていますので、久々にじょんアラを掲載します。
 
 火事がありました。
 新聞報道もなされてますのでご存じの方も多いかとお思いますが、8日の夜8時から9時の間でしょうか消防車がやたら走っていくので、ベランダに出てみると上の方に火が見えました。火の大きさからすると相当遠くで、視界の範囲からすると大町までかなあと思っていましたら、瀬尾谷(しょうだに)だったそうです。好天が続き空気が乾燥していたためか、全焼となったそうです。あらためてお見舞い申し上げます。
それにしても我が家から瀬尾谷が見えるとは考えられないのですが、炎の先端が見えたのかも知れません。

 虫情報その後
 虫に関する情報を出しましたが(10.8参照)その後のスズメバチの捕れ具合は激減で、9~12日までの捕獲数は1匹です。もうシーズンが終わったのかと思ったら、結構飛んでいるので、誘引の薬効が切れたのかも知れません。
 芝の整備の最中、土中にスジキリヨトウの姿がありました。それでも昨年までのような大発生はなく済みました。ひとえに気候のお陰かなと思っております。
 野菜の虫も今夏は少なくて、虫取りをすることも薬剤を使うこともありませんでした。でも秋も深まろうかというこの時、妙にでかい虫がいるのです。一体これは何になるのでしょう。Img_3955
 



 畑の虫害が少なくて済んだのですが、樹木はしっかりやられました。大きく成長したオリーブはアナアキゾウムシにやられて枯れましたし、白樺も一本枯れてしまいました。白樺の犯人は分かりませんが、いわゆるテッポウムシみたいです。
ユーカリも幹に大きな穴を開けられています、それが原因か解らないのだが徐々に葉先の枯れていくのは身を切られるようでつらいものです。
 例年榎木に寄ってくる玉虫の死骸を集めてみました。無数に飛んでいる玉虫も9月下旬になると地表に落ちてきます。そのまま放っておくと蟻に食われるのか、微生物なんかの作用があるのか、首や目玉、手足が落ちてバラバラになります。死んだ直後に拾って保存しておくときれいなままで残ります。さて玉虫厨子はどうやって玉虫を集めたのでしょうか。仏教に係わるしろものだから、まさか生きた玉虫を捕獲したとは思いたくありませんが、真相は如何に。Img_3968
 
 芝生広場の石の境を赤色チャートに替えました。
 芝刈りも今年最後になろうかと思いますが、境の石を赤色チャートに替えました。従来はその辺の山石を使っていて、いまいち見栄えがよろしくなかったのですが、これから特に雨の日なんかは緑の芝と赤い石が補色どうしで映えることになります。Img_3962





 今日のじょん:涼しくなって運動がしやすくなってきた。朝は散歩、ぽんぽこぽんに加えておとーと芝生ランニングをやっている。息が上がっているのはもちろんおとーである。Img_3953_2

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日吉町地名散歩(10) 10/11

2011-10-12 | 歴史・民俗

2011.10.11(火)曇

 グーグルの地図で見ると道奥谷の地名は府道78号線の佐々江トンネルの東側に記入してあるのです。道奥谷鉱山は神楽坂トンネルの手前の林道ということは調べていましたが、すっかり佐々江トンネルと勘違いしてしまったのです。旧道をトンネルの西側から入り、東側に出て、「よしっ乗用車でも行けるな、駐めるとこもあるな」と確認して満足していました。Img_3890

道奥谷と間違った旧道。


 帰宅してからトンネルの写真を見て間違っていたことに気づいたのですが、神楽坂は何度も通っているし、手前にかぐらという喫茶店もあって食事なんかしたこともあったので、車おいてMTBでいけるなあなどと慰めています。Img_5961
 
神楽坂トンネルの手前にある喫茶「かぐら」(2007.7)


 さてこの神楽坂(かぐらざか)ですが、美山町の原村から日吉町の下佐々江に越えており、前述の通り今ではトンネルが出来、車道が通っています。美山と日吉をつなぐ車道は唯一この道ではないかと思います。
 「北山の峠(中)」金久昌業著では北山で最もよい峠と絶賛しています。それはもちろん車道が無い時分のことで、原村の老人が殿田に行く日常の道として、随分丁寧に整備していたからだそうです。現在車道が通ってどのようになっているか解りませんが、是非一度行ってみたい峠です。カグラというのは一般的には断崖、急傾斜をさすのですが、地形図を見る限りこの小さな峠にそのような面影はありません。「北山の峠」の地図には、中佐々江から原村に抜ける原峠を新神楽坂と記しています。この峠はかつて自転車の練習で上り下りしたことがあります。随分急傾斜で断崖もあり、この峠が神楽坂ならカグラ地名も納得ものです。この原峠は軽トラックなら通行できそうで、林道として新しく造られたものかも知れませんし、北の麓の美山鉱山からの鉱石運搬道かも知れません。
 「北桑田郡誌」に野々村庄(原、平屋などを含む美山町南西部の広大な地域)で火災が頻発し、愛宕山を拝することができる地点で神楽を奏し愛宕明神に祈願すれば火難を免れることができるという御宣託により、この地に鳥居と神楽堂を建てて神楽を奏したところ火難は鎮まった、という風に神楽坂の由来を書いています。実際に愛宕山を拝する鳥居が今も建て継がれて存在しているそうですが、神楽堂はありません。この説は上記カグラ地形説より信憑性は高いと思いますが、「北山を歩く3」澤潔著では、神座(かみくら)→カクラ→カグラという説を提唱されているのですが、各地の神楽山(かぐらやま)、官ノ倉山(かんのくらやま)、神倉山(かんのくらやま)などに神座(かみくら)、いわゆる神の降りてくる岩座があり、それが語源とされています。(山の名前の謎解き事典、谷有二著) 
 もし神楽坂にそういった神座らしき岩があるとしたら、この説がもっともらしいと思うのです。
 神楽坂の峠から愛宕山が見えるのか、鳥居から拝めるのか、神楽堂跡らしき地は存在するのか、神座は果たして存在するのか、そんなことを確かめながらこの峠を越えてみたいと思うのであります。つづく

今日のじょん:じょん語録(62)ラ・踏ん張るチータ
夕方の散歩の後は庭の水遣りやあとかたずけの間表につないでおいて、少し遊んで部屋にはいるのだが、この時踏ん張るチータが始まる。入るのが嫌なのかもっと遊んでいたいのか、号令懸けても引っ張っても動かないのだ。これをラ・踏ん張るチータと呼んでいる。Img_3956        もう辺りは薄暗い。Img_3957

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日吉町地名散歩(9) 10/10

2011-10-11 | 歴史・民俗

2011.10.10(月)快晴

 前回記事に誤謬がありましたので訂正しておきます。
 谷汲村木曽屋鋳物師屋には鋳物師が居住していたのは予想されますが、美濃国の鋳懸職人別帳には木曽屋の鋳物師は載っていないそうです。
 もう一つは有里の地名で、”ゆり”と読むのかと思っていたら”ありさと”でした。これもアリ地名が金工に関わりがある場合もあるので一概に誤りではないかも知れません。
 大衣斐、小衣斐周辺の地図をもう一度よく見直すと前回御紹介した地名の他に、糠吹(ぬかぶく)という地名もあります。また近隣の神社は鍛冶神であろう諏訪神社があり、その西北に青木神社があります。アフギと解してたたらに関する神社かも知れません。
 さて、日吉町に戻りますが、四ッ谷の東は佐々江(ささえ)になります。ササは銅のことを表す古語で砂鉄のことも表すと「鬼伝説の研究」若尾五雄著にあります。鬼伝説のある楽々福神社(ささふくじんじゃ・鳥取県)が金工の地の神さまであることから研究が始まるという本でした。その中には三岳山(839m)の麓の佐々木(ささき)にもふれていてササが金工の地であることを証明しています。佐々木の南西には鬼ヶ城(645m)がありますが、国土地理院の地形図では龍ヶ城となっています。
 北山にはもう一つササの地名の佐々里(ささり)がありますが、この地も京北の大マンガン鉱である掛橋谷山の北の麓にあり、古代の金工の地ではないかと思うのですが、「京都北山を歩く」澤潔著では、砂鉄、砂金などの語源の他に新羅の原号「ササ」によるものかもしれないと言っています。それはその下流に白石があることによります。
 日吉町佐々江には四大マンガン鉱山の内の道奥谷鉱山、日吉マンガン鉱発祥の明日ヶ谷鉱山(あすがだに)があります。Img_3894
 
上佐々江に入る地点。右に府道443号線を行くと明日ヶ谷、左の道は京北室谷町に向かいます。


 好天に誘われて日吉町に行きましたが、時間が無いので佐々江周辺のみ下見に行きました。いつかはマンガン坑跡を訪ねてみたいと思っています。その前に腹ごしらえのためとある食堂により、いろいろ情報を仕入れました。
 胡麻新町の鋳物師の末裔、勝田家の場所、連絡先をききました。ここもいつか訪れたいと思っています。
 マンガン鉱華やかりし頃の胡麻の様子もききました。胡麻方面のマンガン鉱山は畑郷(はたごう)のあたりで、下山との間の山間部を蜂の巣のように掘っていたと言うことです。生畑(きはた)や五箇荘辺りのマンガンより質が悪かったそうです。Img_3905
 
上胡麻から下山方面の山々を望む、この山中にも多くのマンガン鉱山があったとか。


つづく(日吉町地名散歩(8)は2011.10.5)

【作業日誌 10/10】
芝刈り(3-3)

今日のじょん:このコーナーだけはですます調が似合わない、というわけで元の語調にもどしやす。

モモ栗残念
店も終わってそうじしていると、ドアの外に人影が、、、、。閉店なのにかなんなあと外に出ると、モモが飛びついてきた。こないだダンナが家出して来たばっかりなのに、今日は仲直りして夫婦でらいじょん。散歩から帰ってきたじょんも大喜び、なんでも宮津にぶらっと出かけたんだって。Img_3951 おみやげに丹波栗ならず丹後栗を差し出されたんだが、もう栗には堪能しているので、「どなたかに、、」などとお断りしている。魚の干物なんかだと良かったんだが、残念。


  

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キクしにまさる 10/9

2011-10-09 | 日記・エッセイ・コラム

2011.10.9(日)快晴

 いやあ、聞いてはおりましたが変人に変犬ですねえ。ミックス犬フェチのパオパオさんが来ました。上林にも奇人変人あまたおりますが、ここまでの変人はおりません。変人振りはブログ「パオパオだより」を見ていただいたらお解りですが、なんでも今日は憲法九条の日だとか言って幟を立てて綾部温泉に行かれました。毎月9の日はそうしてるんだって、、、。変でしょ。Img_3942
 
こんなの上林で見かけませんでしたか?


 マラソン大会に参加して犬の写真ばかり撮ってるんだから、どー見たって変ですね。今日も近所のワンコのところに行って写真撮って悦に入っておられます。もっとも近所中、血統書付きなんてのは居ませんし、純粋の雑種ばかりです。
 ユキちゃんが来ていたのは本当に偶然で、一番会いたかったのはユキちゃんだったそうだから凄いラッキーだった訳です。マーブルもやってきたし、ご近所犬も覗きに行くしで、ヘイヘイやチコにも会ってきたそうだ。変でしょ。Img_3934 Img_3939
Img_3937



ユキやマーブル遊びに来たけど、キクちゃんに吠えられて遊べないんです。

 もっと変なのがキクちゃんで、「咬まれるから手出したらあかんで」なーんて言われると妙に恐怖を憶えるのですが、「いやー意外と小さいやん、なかなかかわいいで」と思うのだが、フェイントが上手いらしい。「いきなり咬みますから、かえって犬好きの人が咬まれるんです」とのことです。
 パオパオさんがお風呂に行っている間、キクちゃん車で留守番していたのだけど、かみさんが砂肝を上げたようです。
ウーワンワンワンとうなり声がして、何かいなと外を見る。
「どないしたんや」
「砂肝やったんやけど」
「砂肝やってなんで吠えられるねん」
「もっとくれゆうて、吠えるんや」
「食べたんかいな」
「食べたで」
「・・・・・・・」「ふつーはクンクンゆうてねだるもんやで」
これがキクちゃんの表現方法かもしれない、そう思うと妙に愛らしく感じるのです。
みんなに吠えてるキクちゃん見てると妙に笑えてくる。Img_3944 Img_3947

じょんもメーパパもたじたじ。



かみさんなど「キクちゃん歯がきれいやなあ」なーんて変なこと感心しているのです。
 次来られるときはドッグランで思い存分走れるよう、頑張って作りますぞ。

【作業日誌 10/9】
芝刈り(3-2)

今日のじょんは本文に登場のためお休みします。

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一寸の虫にも五分の迷惑 10/8

2011-10-09 | 日記・エッセイ・コラム

2011.10.8(土)快晴

 虫の季節もそろそろ終末かなという時期になりました。人口はどんどん減っている上林ですが、虫口は相変わらず増えていることでしょう。蚊、蝿、ゴキブリの三大害虫の内、蚊とゴキブリは少ないのですが、より強烈なブヨ、ムカデ、ダニ(ムカデ、ダニは昆虫ではありませんが)など困った連中がうようよ居ます。これから秋が深まりますと参るのがカメムシであり、これまた尋常な数ではありません。要するに虫を供給する山や田んぼ、草むらなどが無尽蔵にあるということが原因でしょう。
 ところが年によってその発生に変化のあることが解りました。その年の気象条件や大発生の循環のようなものがあるのかも知れません。
 例えばカメムシですが2008年秋は大発生、2009年はまずまず、2010年は極少ない状況でした。一番少ない年の冬が大雪になったのはマーフィーの法則でしょうか。今年多いのはダニ、去年も一昨年も同じように野や山で仕事しているのに、今年ほど大量にやられたのは初めてです。足や腹に残った傷痕は来春まで残るでしょう。
 そして今難儀をしているのはスズメバチです。昨年までさほど気にしていなかったスズメバチが妙に多いのです。外に出れば必ず挨拶に来ます、顔の周囲をブーンとかすめて帰っていくのです。作業所で作業をしていても凄いスピードで飛んできます。こんな時はじっと身をかすめているしか無いのです。もしか背中にとまったりしたとしても騒いではいけません。こんな状況に堪りかねて昨月の24日にスズメバチの捕虫キットを木小屋にセットしました。これは昨年にかみさんが購入していたものですが、「蜂も殺してはいかん」という土井さんの言を守って使っていませんでした。説明書を見ると、誘引剤がスズメバチのみを誘引し、ミツバチなどは捕れないという優れものでした。最初のうちあまり捕れませんでしたが、そのうちどんどん入るようになり、本日までの成績は次のとおりです。
10月1日まで 数不明
2日3日 14匹
4日     6匹
5日     5匹
6日7日 25匹
8日    3匹
Img_3860
こういう感じで寄ってきます。


 小さな容器でこれだけの成果はなかなかのものだが、問題も有りです。
 敷地内に巣があるのならともかく、山から無尽蔵に誘引されてくるのなら根本的な解決にはなっていないということです。ただ、敷地内で飛び回るのが一箇所に固まって捕獲されるとしたら意味はあるのかなあという感じです。
 誘引して入り込んだ蜂は液体で溺れ死ぬようになっています。沢山入った場合死骸が邪魔になって液体に浸かることが無いのです。従っていつまでもブンブン暴れている状況で、蓋を開けて死骸を取り除くことが出来ないのです。
 それでも竹串かなんかで押さえつけて溺れさすのですが、死骸にも誘引薬剤の匂いが付いているようで、その場所に他の蜂が寄ってくる危険性があります。取りだしたらすぐに焼却することが肝要です。
 捕獲数を記録することによって出現の傾向をみることができます。今回発生時期は特定できませんが、9月下旬といったところでしょうか。天気は意外と曇の日が多く、雨の日でも多く捕獲されています。さて、いつ頃収束するやら、、、。
 もう一つ刺されてしまったらどうしましょう。救急車で病院に行っても最低30分はかかるでしょう。実はそれでは手遅れなんです。ましてや山に行ってて刺されたら数時間かかりますからねえ。そこですぐに応急手当ができるポイズンリムーバー、これは優れものです。最もまだ使ったことがないので何とも言えないのですが、能書き通りの効果があればの話です。でも一生使わずに終わるのが一番良いことかも知れません。Img_3932




【作業日誌 10/8】
芝刈り(3-1)
草刈り(8-1)今年最後かな?

今日のじょん:散歩の行き帰り必ず寄るところがあります。真ん中の車庫です。そう4日に軽トラあっぱれ号がドナドナで売られていきました。その跡ががらんとしているのですが、なぜかあったものが無くなると寂しい感じがします。じょんも気になるのでしょうか。Img_3886_3

 
  

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井根訪問 10/7

2011-10-08 | 上林界隈(AKB)

2011.10.7(金)晴

 近くて遠い井根でした。我が家の裏山を越えれば井根の谷なのに行ったことが無かったのです。
 あまりに好天なので、久々に日吉五箇荘を訪ねました。帰って時間がまだ残っていたので井根を訪れました。
 上林の村々は上林川本流の幹上林、支流の枝上林ともに入口部分が峠であったり、環流丘陵によって塞がれていたりしていて閉塞的な感がします。ところがそのゲート部分を越えて中に入ると意外に広く明るく、別世界に来たような感じがするのです。何鹿郡誌に桃源郷と言わしめているのは将にその感じがあるからではないでしょうか。井根も将にそういった谷であります。井根口から少し入ったところに売り家を探して入ったことがあります。上林の狭い道に慣れていない時、這々の体でUターンして逃げ帰りました。
 そのイメージがきつく、ずっと狭くて陰気なところという思いを抱いていました。ところがその井根口の喉のところを過ぎると、ぽかっと空が開き、正面に蓮ヶ峯(544m)がでんと座っています。道は谷沿いに登って行く一本道で、右手の山から幾本もの清水が流れ出ていて、その全てに樋を設け、樽や桶が清水を満たしています。井根の語源は間違いなくこの湧き出る清水だと思いました。Img_3928Img_3927
 
喉もと過ぎれば景色が広がる。
あちこちに清水が出ているが、猪の獣道もセットにあるのがつらい。

  スクールバスの転回場所があって、本道は左の尾根を急登します。登り切って少し行くと左手に高野山真言宗日圓寺の石柱が見えてきます。案内板によると747年行基の開創というから随分な古刹です。Img_3926

ジグザクの急登を登る、左のピークが蓮ヶ峯。


 蓮ヶ峯をめぐる寺院は十数カ所あったそうですが、今では施福寺とこの日圓寺に痕跡を残すのみということです。廃寺跡を見つけ出して修験者道を再開したらとても素晴らしいことだと思うのですが、、。
 本尊は十一面観音ということです。その本堂の前に池があって、ここも豊に水が湧いています。もっと蓮ヶ峯の尾根を登っていっても水があるということですから、凄いことです。Img_3911 Img_3910
 
本堂とその前の池。



 お寺を後にして先程の転回場所に行くと、川沿いに細い道が付いています。まさかと思いつつ遡って行くと三軒の家があり、二股のところは常駐されているMさんのお宅でした。田舎暮らしの神髄のようなたたずまいです。Img_3924

右の道を行くと三軒の家があります。



 今日のじょん:補助金が出るそうでどの村でもワイヤメッシュのラッシュです(シャレ)。右の田んぼに入れなくなったら、左の畑に入るんじゃないかな?じょんも納得いかないようです。Img_3884

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お値段以下 10/6 

2011-10-07 | 日記・エッセイ・コラム

2011.10.6(木)曇

 本日の讀賣新聞の経済面トップに「ニトリ初の自社モール」の記事が掲載されていました。同じ日にニトリで買った簾のブラインドカーテンを修理しています。
 綾部に引っ越す前に伏見にニトリの店がオープンして、ブラインドカーテンなど五点を購入しました。広い店舗に種類も多く、値段もリーズナブルで助かりました。
その後福知山にも店舗がオープンし、きっと人気が上昇しているのでしょう。最近聞かなくなりましたが、「お値段以上ニトリ」のキャッチフレーズが当たったのかも知れません。
 ところが期待に反して、今日は二つ目のカーテンを修理しています。最初の故障は小さなブラインドカーテンで、買ってすぐに巻き上げがうまく行かなくなり、抜き差しならぬ状態になって、かみさんがはさみで側をじょきじょきと切ってしまいました。何とも情けない結果です。Img_3876
 
最初に壊れたブラインドカーテン。常に斜めになっている。


 二つ目の故障は簾のカーテンで、購入3年目にして上げ下げがうまく行かなくなりました。裏にまわってみてみると、上げ下げ用のひもとカーテンをつなぐリングが伸びて四箇所がはずれていました。リングはちょうどキーホルダーに付いているようなちゃちなリングで、相当重量のある簾を上げ下げするには無理のあるものです。カーテンは使用頻度の高いものだし、それに耐えうるパーツが要求されます。メーカーは果たして使用実験、耐久テストをしているのでしょうか。Img_3874
 
リングの破損が四箇所。


 キーホルダーのリングを使って応急処置をしましたが、次の故障も時間の問題でしょう。確かに値段は安いのですが、家具・インテリアといったものは耐久消費財であって、消耗品ではありません。お値段以上は誇大宣伝です、少なくとも「お値段同等」あるいは「お値段以下」かもしれません。Img_3877

こういう単純構造のものは故障もなく、お値段以上かもね。


【作業日誌 10/6】
薪割り
大根間引き

今日のじょん:昨年の今頃はかみさんが入院し、じょんと二人で淋しく暮らしておりました。意外とうまくやっていけたと思っておりますが、散歩時の鍵かけには参りました。じょんを出して窓の鍵を掛け、自分が出て玄関の鍵を掛け、帰ってきたらその逆をやるというなんとも面倒な事でした。お祭りの幟を見るとその頃を思いだします。Img_3887 Img_3882  写真は昨年の情けない姿のカレンダーと今年の様子。

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日吉町地名散歩(8) 10/5

2011-10-06 | 歴史・民俗

2011.10.5(水)雨

 「いび郡の地名」(揖斐郡教育会編)は教育界の関係者が子供たちの教育の一環として出版された本です。いわゆる歴史学者や民俗学者が著したものでなく、多くの人が各地域分担して研究し、書かれたものです。中には専門学者以上に深く研究され、例えば「門入」(かどにゅう)「戸入」(とにゅう)などの地名は水銀産地であることに着目し、ついには伝説上の「こうもり穴」「弘法穴」が古代水銀鉱山であったことまで発見しています。逆に付会と思われる伝説上の話をそのまま地名由来としたりしているところもあって、それらを理解して読むと大変面白い本ではあります。
 私の予想通り、金工地名が沢山出てきます。ただそれを金工地名と気づかないで書かれている部分も沢山あります。
 揖斐(いび)についての説明は従前に書いたとおりですが(日吉町地名散歩(6))、川の湾曲や井堰の多い川などという語源ではなく、金工に由来すると思われる間接的な理由がこの本の中にありましたので紹介します。
 谷汲村木曽屋(現、岐阜県揖斐郡揖斐町谷汲木曽屋)に鋳物師屋という小字があり、免許を持った鋳物師が居住していただろうと思われます。地形図を見ると西側の小さな峠が鞴のようになっており、冬期など金糞岳方面からの乾燥した西風が相当吹くだろうと予想されます。古代の野たたらには最適の地ではないでしょうか。その
南、根尾川と揖斐川に挟まれたところに鋳物師分(いもじぶん・大野町)という小字があります。木曽屋の鋳物師が仕事をしたところなのか、他の鋳物師が居たのか解りませんが、金工に縁のある地だと思います。そしてその鋳物師分の大字がなんと大衣斐(おおえび)なのです。大衣斐周辺の地名を探ると小字は解らないのですが大字で小衣斐(こえび)、根尾川を渡ると海老、浅木、温井、軽海、身延など金工にかかわりのありそうな大字が存在します。私が金工地名ではないかと提唱している有里もあります。鋳物師に関連する地帯に大衣斐、小衣斐、海老とエビ地名が三つもあるのはエビ=イビが金工を表す地名だと言ってもよさそうと思うのです。Img_3722
 
日吉町の海老谷(えびたん)沿いには石碑や地蔵が多くあります。昔の街道のなごりでしょう。


 ただ先日紹介した揖斐川=ビシ川=鉄の川という福士幸次郎氏の説もすんなり納得のいくものではないと思うのです。エビ地名が金工と関わりのあるものだとする確固たる理由をいつか見つけたいと思っています。つづく(日吉町地名散歩(7)は2011.10.3)

【作業日誌 10/5】
九条太ネギ干しネギ植えつけ

今日のじょん:じょんはいびきをかくでしょうか?
あまり聞いたことは無いのですが、夜中に原稿を書いていると、どことなくグーグーと聞こえるのです。おかしいなあと思ってそーっとじょんを見てみると、その音とお腹の動きが一致しているのです。犬もいびきかくんだ。しゃっくり、おなら、あくび、いびき、のび、首かしげ、流し目、しらんぷりなどなど人間と変わらないところが面白いですね。無いのは貧乏揺すりぐらいかな。Img_3879

いびきかいているところ、フラッシュ焚いても起きない。

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古屋再訪 10/4

2011-10-05 | 上林界隈(AKB)

2011.10.4(火)快晴

 10月16日(日)に第14回の洞峠の風にふれあう交流会が行われます。是非参加したいと思っているのですが、なにしろ営業日なので13時ぐらいまでに帰ってこれるか微妙なところです。軽トラを手放したので自転車で行けばどのくらいかかるか実験も兼ねて行ってみました。というより、あまりにも良い天気なのでとにかく自転車に乗ってみたかったのです。里山サイクリングをドタキャンしたわけですが、日本一周ツーリングを達成してからどうも目的地に用が無くて自転車に乗るのが嫌になって来ています。つまり体力をつけるために走るなんてことはあまり魅力を感じないのです。Img_3863_2 Img_3864
 
集落に向かう手前の峠から郡境尾根、洞峠はもう少し右手かな。


 こういう言い方をすると、上林川本流に住む人間の言い分、故郷を捨てて都会に出た人間の言い分ということになるのでしょうが、たとえ古屋に綾部美山線の舗装道路が開通したとして、若者が還ってくるでしょうか、私はそうは思えません。
 古屋に生まれたひとが何かを感じて還ってくる、あるいは古屋の価値を感じた人が移住する以外にないのでしょうか。Img_3870

古屋はぽっかり開いた空間といった感じ。


 この日の古屋でも誰一人出合うことはありませんでした。公民館には灯りがついており、名産になった栃餅製品を作っておられるようです。昨年訪れたときは犬の鳴き声もしたし年配の男の方にも出合いました。せせらぎの音以外にはペダルの軋む音しか聞こえないのは何ともやるせない想いです。そうでなくとも両岸に迫る山影に押しつぶされそうな思いがしているのです。
 先程モータリゼーションの発展云々と言いましたが、モータリゼーション出現以前はこの地は京に向かう京街道の一つとして随分賑わっていたとのことです。大岩の集落も街道あっての集落だったのではないでしょうか。大岩にも古屋にも道路沿いに能舞台のような建物が残っています。これはある意味では旅人のための簡易宿泊所的な役目があったのではないでしょうか。Img_3098
 
大岩のお堂、古屋のものは上の写真の左下に写っています。



 ともあれ、当時は多くの往来がある風通しの良い集落であったわけです。それがモータリゼーションという文明の親玉のようなのが発達した結果、どん詰まりの集落となり、あわや廃村の憂き目にあおうかという心配も出てきたわけです。これは随分矛盾した話ではありませんか。そもそも文明とは、人間のためにあり、人間の生活の発展向上に寄与すべきものであります。その文明が生活の場である村の存続を脅かし、人々の生活を破壊していたとしたら、やはり矛盾といえるでしょう。
 全国各地の廃村も同様の状況だと思います。福島県の原発周辺だって、文明の最たるものに村を破壊されている訳ですから。
 なお、古屋までは14Km、1時間というところでした。

【作業日誌 10/4】
第三木小屋完成、経費1,340円(桟木1,000円、1×4340円)

今日のじょん:じょんがおしっこしたがるので早く起きて外に出てみました。なかなかの丹波霧で、こういう日は良い天気になります。Img_3852 Img_3854

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日吉町地名散歩(7) 10/3

2011-10-05 | 歴史・民俗

2011.10.3(月)曇、雨

 現在では海老といえば曲がったものを表す代表のようで、アメリカではバナナだそうです。海老地名は数多くあるので総てを調べてゆけばおぼろげながらでも傾向が見えてくると思いますが、ここでは既に紹介した海老名(えびな)市と揖斐川(いびがわ)の例を挙げて見たいと思います。
 海老名も揖斐川ももうひとつ釈然としない説明でした。海老名のエビ=イビ=ユビで指のように曲がっているから階段状の地形というのは一体何のことか解りません。もう一つの=イボで怒る、荒れるというのは一見もっともなことだけど、エビがイボになるかなあと疑問を感じます。イボなら兵庫県に揖保郡があるのですが、どうもこちらはそのような由来ではなさそうです。海老名の地名由来は一筋縄では行かないような気がしますが、地図で海老名を見ますと気になることが出てきました。まず市内を南北に流れる相模川は実に素直に流れていて、古代の流域は知るよしもありませんが、少なくとも川が曲がって江廻、江曲(えび)という感じはしません。市内も市街地化しており、地名も特別気になるものは見つからないのですが、相模川を下っていくと寒川町(さむかわちょう)という町があります。高座郡(こうざぐん)の唯一の町ですが、元々の高座郡は(たかくらぐん)と呼び、北は相模大野市から南は茅ヶ崎市まで含む大きな地域であったそうです。寒川には寒川神社もあり、真弓常忠氏は「古代の鉄と神々」の中で、サヒ・サブ・サビは鉄の古語で、寒川、寒田、寒河江(さがえ)、祖父江(そふえ)などは鉄を表す地名や神社名と述べています。高座郡は高句麗との関連説が有力で、私が調査中の引地川(ひきじがわ)もこの郡の範囲に入ります。
Img_1823 Img_1826
 
旧高座郡には相模川、引地川、境川が南北に走っています。写真は境川、江ノ島。江ノ島の南側には鉱山があったとか。


 
 揖斐川については金工に関係する地名だと従前から思っていました。それは井塚政義氏「和鉄の文化」で言うところの伊吹《ねう》地帯(伊吹山を中心とした産鉄地帯)を貫く大河であり、その支流が根尾川(ねおがわ)なのです。真弓氏の揖斐川に関連する文を紹介します。
 
ヒシ・ヘシは「和名抄」によると、鉄鏃を意味し、棹の先に装着した鉄片である。この語から派生した「鉄の川」が、イヒシ(飯石)川、イビ(揖斐)川であるとしたのも福士幸次郎であった。「イ」は発声上のもので、本来の形は、ヒシ川・ビシ川であるという。そしてこの「ビシ」は元来南太平洋の鉄という言葉BESIと一致すると指摘している。(『原日本考』)つづく(日吉町地名散歩(6)は2011.10.1)

今日のじょん:じょん語録(61)朝の雨はじょんの腕まくり
そのまんまです。
Img_3847
 

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お米の味 10/2

2011-10-03 | 日記・エッセイ・コラム

2011.10.2(日)曇

 めっきり秋らしくなり朝晩が過ごしやすさを通り越し寒くなってきました。ついこの間やったような気がする衣替えを又してもする必要がある今日この頃です。
 上林に来て従来と変わったことの一つがお米の飯を沢山食べるようになったことです。力仕事が増えたということもありますが、第一の理由は御飯が美味しいということです。綾部市立病院の食堂の御飯について文句を言うのは上林の住民が最も多いということです。それだけ上林のお米が美味しいということですが、美味しいお米を食べていると、美味いまずいが判ってくると言うのも本当です。日常ベースとして食べているのは上林のお米ですが、様々な機会にあちこちのお米を頂くことがあります。昨年など魚沼産コシヒカリも賞味しました。上林のコシヒカリでも地域や生産者によって味が異なります。その違いが判るようになったのです。
 今まで都会で市販のお米を食べていたときには、品種や生産地域の違いが少しも判らなかったのです。今、地域や生産者の違いで味の違うことが判るのはなぜなんでしょう。
 学生時代に大きなお米やさんでアルバイトしていました。そしてそこで一番売れているお米はそのお店のブランド名が付いているのですが、いわゆるブレンド米でした。その当時はコシヒカリだのアキタコマチだの高級米はありませんでしたが、京都の二等米に北海道の四等米を何パーセントか混ぜると言うようなことをしていました。これはずるいことをしているというのではなくて、店主に言わせると、混ぜる方が美味いのだと言っていましたが、私は味というか品質が均一になるということだと理解しています。同じ所で同じ商品を買っているのにたんびに味が違うというのは良くないことなのでしょう。Img_1442
 
昨年の新米グランプリはこのお米でした。
やっぱ天日干しですね。


 市販の商品は今でも同様なのではと予想します。つまり、何々産コシヒカリといってもその産地のコシヒカリを混ぜて、味が均一になっているのではないでしょうか。そうだとすると、市販のものを食べているときにお米の味の違いが判らなくて、今生産者毎のお米を食べているとその味の違いが判るのは当然のことです。ピュアなものを食べているからです。そのことは必ずしも良いことでもありません、当たりはずれがあるからです。おいしいお米にあたったときにはラッキーな感がしますが、はずれたときは30Kg食べきるまで悔しい思いをしなければなりません。
 さて今年は上林産の新米二種を頂きましたが、まだ優劣を云々する状態ではありません。というより、新米の味を充分に引き出す炊き方が難しいと思います。Img_3844
 
今のところ一番美味いのは、これって言ってもわからないか。
古米です。


 同じ生産者でも古米の方が美味しいということもあります。同じようにやっていてもその年の気候条件や収穫時期や乾燥の状態などで変わってくるのでしょう。米の味って奥が深いものです。

【作業日誌 9/2】
第三木小屋屋根張り

今日のじょん:ミツバチやアシナガバチは受粉などで活躍するので殺してはいけないのですが、今の時期のスズメバチは困りものです。人間でも強烈なので、小さな犬が刺されたら大変と思い、蜂捕りをぶら下げました。あっという間に一杯捕れてちょっと驚きです。Img_3849 
 
 
  

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