2013.7.16(火)曇り 京都帝釈天(17)八幡・厄神社の盃状穴
飯盛山西光寺の明治記念碑にある鏡が老の坂で見えたという、またその場所は荒井神社があった地だという。これは何としても確認したく、準備を整え出発したが、南丹病院での歯の治療が終わるとパラパラ雨が落ちてきた。山で夕立に遭っては溜まらないと方針変更、園部の小山別所を探るべく、南丹市立文化博物館を訪ねる。ここで周辺知識を得てから小山別所を訪ねようという算段だ。
南丹市立博物館は図書館と併設の立派な施設である。
今日の記事を飯盛山、別所探訪、盃状穴のどのジャンルで書くべきかということだが、実はどこで書いてもいい内容である。というのは別々に調べ始めたジャンルなんだが、これが妙に関連していることがわかってきた。少なくとも飯盛山と別所は関連があると思っている。つまり国分寺、国衙などの建築の際に金属の用具や材料を調達、工作する集落、集団を別所と呼んでいると思われるからだ。飯盛山はこれらの設置場所、建築に関する測量に関係しているので、別所のあるところ飯盛山があり、飯盛山のあるところ別所があるという事になるのではないだろうか。
ただこの関係はすべてがそのようになるわけではない、それは別所には他の意味もあるようだし、飯盛山も国分寺などの測量のみをしていたわけでないからだ。
ところが今回は盃状穴が浮上してきた。それは単に別所の関連で調査した神社に存在しただけであって、別所や飯盛山と関係するものではない。
文化博物館に行く前に吉富の駅から飯盛山を眺める。この山、桂川方面から眺めても少しも神奈備型の山ではないのだ。地形図で見る限り西方面から見ると、神奈備状に見えるのではないかと予想しているのだが、まだそうはならない。
吉富の駅から飯盛山方面を眺めるが、飯盛状態ではない。
文化会館は市役所のすぐそばにある、お城のそばなのですぐにわかる。入館料300円を払って常設展示を見て回る。
小山別所については、「別所地名事典」(柴田弘武)に掲載されている関連事項を調べてみる。
小山別所と呼ばれていた廃寺称釈寺の跡から出ただろう、経塚の現物が展示してあり感激する。また柴田氏が注目されている垣内古墳については、豊富な出土遺物の現物が展示されており、特に鉄製品、馬具などの豊富さが目立つ。垣内古墳のある内林周辺には荒代、金沢、千原など金属に関わりのありそうな地名があるなと思っていたら、博物館の地図に今林牧を見つける。牧の詳細はわからないが、牧と製鉄が併存している例は多い。
そして垣内古墳の後円部(垣内古墳は前方後円墳)に当たるところの八幡、厄神神社境内からは12世紀の鉄滓が発見されているという。(別所事典)
これは行ってみる必要がありそうだ。つづく
八幡、厄神社の向かいにコンビニが本日オープン、お客が続いて駐車が出来ない。
【今日のじょん】今朝は幾分涼しいので、念道橋の向こうまで遠出する。ところが一番遠くに行ったときに、応急処置をしていた靴の底が完全に剥がれてしまった。底の剥がれた靴の歩きにくいこと、じょんは裸足でえーなー。
あれっれ、、、だめだこりゃ