晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

イベント情報 ’14、2 2/12 

2014-02-12 | 日記・エッセイ・コラム

2014.2.12(水)曇り、雪

 奥上林「冬あかり」
P1020323
 日時:2014.2。15(土) 17:40~

 場所:二王公園薬草の森(二王の水車、あやべ温泉周辺)

 行燈・スタードーム点灯
 手作り行燈の工作教室
 上林小学校児童製作の行燈展示
 軽食有り(有料)

 主催 奥上林地域振興協議会

 奥上林の新イベントで、雪が有るや否や解らないので「冬あかり」と名づけたようで、幸い雪はありそうだ。400個の行燈によるあかりが楽しめそうである。
 前日にチョコレートくれた彼女を連れて行けば喜ばれること請け合い。チョコレートもらえなかった人も、行けばいいことあるかもヨ。

【作業日誌 2/12】
じょんシャン台、シンクに木枠取り付け。
こんだけのもんにいつまでかかってんだと言われそうだけど、実は見えない工夫が一杯あってタイヘンなの。例えばステンレスの切断面などは板の表面にルーターで溝を掘って埋め込むなど苦労してるのよ。P1020321
 


 さて、昨日の答えは、ご覧のとおり。一つは2?4を1?4にする用具、もう一つはブロワを固定して作業中のおがくずなどを飛ばす固定具。
P1020306



【今日のじょん】夜中にえらい吠えたんだが、朝の探索ではのり面に足跡発見。いつもの鹿の通り道なんだが、蹄が無い、どうやら小動物かと思うが、歩幅や大きさからするとやや中くらいのものらしい。P1020310 P1020311
 



 じょんのび谷には鹿がしっかりやってきていて、ナンキンハゼの枝を囓っている。いくら食い物がないからってこりゃあまずかろう。
P1020316 P1020314

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睦志のこと(12) 穴虫-18 2/11

2014-02-11 | 上林地名考

2014.2.11(火・祝)曇り

 穴虫地名が香芝町の穴虫、穴虫峠だけであったら、小川光三氏の大穴道説は納得のいく唯一の説となるかも知れない。しかし各地に穴虫があり、香芝町の穴虫と違う状況が出てきたら、穴虫の語源は他に求めなければならない。
 次に訪れた穴虫は、亀岡市千代川町の穴虫で、地形的には穴虫峠と同様でしかもその東には丹波国府推定地があるのだ。国府から見ると、太陽は西の穴虫に落ちていくことになる。
 しかしその次に訪れた河原林町の穴虫は真東に国分寺跡はあるのだが、地形的には河岸段丘で、太陽が大穴に落ちてゆくというような状況ではない。
 大津市北大路三丁目の穴虫池、中穴虫池、上穴虫池はそのすぐ近くまで行きながらも現物は見ていない。この穴虫池の東には瀬田川を挟んで近江国庁跡がある。ただ三つの穴虫池は南西方向に列んでおり、国庁から見ても太陽が穴虫に沈んでいくという風には見えないだろう。
 このように他の穴虫を見ていくと大穴道説はすべてには当てはまらない様に思える。
 ここで他の説に対する検討に進むのだが、その前に気になる共通点が現れてきた。いくつか調べた穴虫に鉱山が多いことだ。
香芝町穴虫峠、金剛砂(石榴石鉱床)
大津市北大路町三丁目穴虫池、焼野鉱山(マンガン鉱床)
Cimg9349


穴虫池は焼野鉱山の跡とか、水が抜かれたところに見えるのは坑道の跡ではないか?

千代川町北ノ庄穴虫、行者山を挟んだ南に大谷鉱山がある。タングステンの著名な鉱山だが、元々は銅山として開発された。(タングステン、錫鉱床)
P1060780
 

稜線の窪んだところが穴虫、その左手のピークが行者山、大谷鉱山は更に左手(南)の麓に在った。
 宍粟市一宮町、与謝野町男山の穴虫も古代の金属関係の匂いのするところである。これらは今後の調査を待つことにして、先日読んだ「播磨地名伝承の探索」でも谷川健一氏編の「金属と地名」の中でも、”穴”というのが坑道を表すという風に言われている。もちろん”穴”のすべてが坑道というわけではないだろうが、ここは穴虫を穴と虫に分けて考察する必要があるのではないだろうか。つづく

【作業日誌 2/11】
じょんのシャンプー台、脚の作製と塗装
P1020307


冬の塗装は手間が大変、村上さんに頂いたシートが大活躍。

これなーんだ?・・・・答えは明日。
P1020305



【今日のじょん】4日から連日の降雪で、そろそろ食傷気味になってきた。じょんも散歩が足りない様子で、朝の運動はすこぶる元気。変化をつけて雪山ぽんぽこぽんやっても簡単にこなしてしまう。
P1020300 P1020302
P1020303
 


【ぎっくり腰情報】もう忘れていたので、昨日をもって完治としておこう。実に3週間の闘病?である。でも正味の痛みは3日間、残りの18日間は日にち薬というところか。

 

 

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雨読 「吉備の古代史」 2/10

2014-02-10 | 雨読

2014.2.10(月)雪

 大和政権が国家を形成するに至る過程は記紀を始め、古来から多くの学者の著書もありうかがい知ることが出来るのだが、大和と同等に割拠していた出雲、吉備、丹波など地方の勢力はどうであったのか。文献として残っているものは常に勝者を主体に記されているので、敗者の理論は表に出てこない。
 出雲は大和と対照的に表されるので文献も多いが、吉備というのは以外と知られていない。吉備の古代を知ることは重要なことと思い読んだわけだが、意外な情報を得ることとなった。
 「吉備の古代史 王国の盛衰」(門脇禎二著)1992年8月第一刷NHKブックスP1020297
 



 吉備国の歴史に関してはここで書いてもあまり意味が無いのだろう、それが知りたい人は本書を読めばすむことだ。わたしが本書で得たものは、部民のあり方と穴、安那のことである。部民についてはそこそこ大切な問題と思うが、穴のことは枝葉末節的な事と思う。ただ、現在研究中の穴虫、穴地名に関する事柄というだけのことである。
 穴地名に関しては別項「睦志のこと」で述べるとして、部民制について少し述べておこう。
 雨読「部民制」(2014.1.23~24)で述べたとおり、これだけの専門的な書を読んでも理解できなかった部民制について、こういうことだったのかと思わせるのは皮肉なことである。本書は部民制について書かれた本ではないのだから。
 部民について、名代・子
代(なしろこしろ)額田部や白髪部など、部曲(かきべ)佐伯部や宗我部など、品部(ともべ)玉作部や弓削部などに分類できる。本書には吉備の郡別部民分布表というのが載っている。(P60)賀夜郡には18もの部が存在するのに、浅口や後月郡などは一つの部である。670年には庚午年籍(こうごのねんじゃく)を契機として、全人民に部姓を付与したという説があり、各郡における部姓の付与というのは一体なのを意味するのか解らない。例えば備後国神石郡は物部のみである。郡民すべてが物部の職掌をこなしていたとは考えられないし、郡全体で伴造を養っていたということだろうか。あるいは何の脈絡もなく単に部姓を与えていたということだろうか。
 門脇氏はこのことについて、「それぞれの地域の人民の「大化改新」より以前からの服属関係を前提とし、その歴史的由来によって付与されたものと考える」と書かれ、部姓が何の根拠もなくアトランダムに付与されたとは考えがたいとされている。
 これは一つの例だが、部民制とは我々が歴史の授業で習ったように、単に特殊な技術をもった集団などという知識だけでは何も理解できない。
 本書には吉備における部民制に関する考察が多くあり、大変参考になる。

【作業日誌 2/10】
じょんのシャンプー台作り

【今日のじょん】屋根の雪も落ちきって、ようやく弥陀ヶ原のバス道のような玄関道が開通した。ところが、今日は日中雪が降り続け、夕方には10cm近く積もった。夜も降れば元の木阿弥となる。P1020290 P1020289
 
 

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睦志のこと(11) 穴虫-17 2/9

2014-02-09 | 上林地名考

2014.2.9(日)曇り、雨
 穴虫の意味-2

 讀賣新聞2014.2.7(金)に「纏向遺跡 新たな建物跡」という記事があり、既に発掘されている大型建物跡と同じ方向、同じ中心線も重なるため関連の建物としている。気になるのは石野兵庫県立考古博物館長のコメントで、「建物が東西方向に並ぶのは、日の出と日の入りを意識しており太陽信仰と関係があるのだろう。云々」とある。実はこの纏向遺跡の箸墓古墳の真西に当たるのが穴虫峠で、箸墓古墳から見ると春分秋分に檜原神社方面から出た太陽は穴虫峠に沈むことになる。
P1020287
 


 東西に方向に列ぶ建物群が太陽信仰に関係があるだろうというコメントは太陽の道を説く小川氏も水谷氏も大きく勇気づけられることだろう。前述の穴虫(1)、穴道説の根拠ともなる太陽のラインである。
 穴虫峠について今一つ重要なことは「日本書紀」の次の文である。
 
この墓は、日(ひる)は人作り、夜は神作る。故(かれ)、大坂山の石を運びて造る。則ち山より墓に至るまでに、人民(おおみたから)、相踵(あいつ)ぎて、手(た)ごしにして運ぶ。「知られざる古代」より

 崇神天皇紀にある有名な一文だが、大坂山は穴虫峠のことであり、この墓は箸墓と水谷氏は関連づけている。現実に箸墓の上から大坂山、二上山産と思われるサヌカイトが発見されているという。
 穴虫峠を航空写真で見ると、北東方面に白く見える岩塊が広く見える。これが屯鶴峯(どんづるほう)で二上火山群の噴出物が沈殿して出来た凝灰岩の層で天然記念物になっているものである。人民が古墳を造るために手伝えに運んだ大坂山の石とはこの凝灰岩ではないだろうか。この凝灰岩は柔らかくて大変細工しやすいそうである。
 太陽の沈む大穴の石を運んで古墳の造営に使うということは、また太陽が東から昇るように再生を願う太陽信仰の一つの現れかも知れない。つづく

【作業日誌 2/9】
じょん洗い台造り(2日目)大部分木枠作製

【今日のじょん】
谷村さんとモモが来て、森嘉の豆腐を頂いた。以前麻婆豆腐なんかにして叱られたので今日は定石通り湯豆腐にした。佐々木さんに頂いた銘酒あさ開もまだ残っており、嵯峨の料亭の味を賞味させていただいた。
 なんで今日のじょんかって?じょんもいただいたのである。嵯峨豆腐食ってるワンもいねんでねいかい。P1020284 P1020286
 

 もうないのん。
 

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睦志のこと(10) 穴虫-16 2/8

2014-02-08 | 上林地名考

2014.2.8(土)雪
 穴虫の意味-1

 穴虫、穴、虫地名をリストアップし、現地を確認してみようと思っているのだが、予想以上の降雪で当分出かけられそうにない。地図上で位置が確認出来るのはごくわずかで、現地に赴く以外に確認のしようがないが、現地に行ったところでその位置の確認は難しい。その時は市役所なり役場で教えてもらうのだが、山間部などではまるでどこか解らない。
 動きのとれない今は文献や地図上で場所の予想をしている。つまり穴虫地名の意味をいくつか考え、それにそった場所を予想するわけだ。後日その場所に行き、ぴったり合っていれば、最初に考えた意味が当を得ているという結果になる。
 そういう意味では地図ソフトの映像は役に立つ。地形図だけでは解らないその場所の植生や細かな地形、そして建造物なども見ることが出来るからだ。
 予想を立てるにしても穴虫の意味をまず考えなければならない。
 穴虫という地名が各地にいくつも存在することは、穴虫という普通名詞的な意味があると考える。
 現在までに見聞きした穴虫の意味は次の通りである。
(1)穴道説(大和の原像・小川光三氏)
 西海には大穴があり、東から出た太陽はやがてこの大穴に沈むという古代の人々の宇宙観があり、この大穴に至る道という説。P1060784

 

千代川町北ノ庄穴虫は亀岡盆地の尾根が迫った一番低いところ、その東に丹波国府推定地があり、香芝町の穴虫と同様のシチュエーションが考えられる。

(2)空無所説(西丹波秘境の旅・澤潔氏)
 虫は無所(墓所、葬地)が変化したもので、空無所(からむしょ)、つまり両墓制に言うところの詣り墓が変化して穴虫となったというもの。

 (3)穴無所説
 文献にあるわけではないが、一般的にいわれている説で、虫はやはり無所なのだが、穴は墓穴の穴でいわゆる埋め墓のことをいう。
P1060791
 

亀岡市河原林町河原尻穴虫は丹波国分寺跡の真西にあり、国分尼寺跡も存在する。穴地形ではなく河岸段丘という感じだが、古代からの墓所ではなかったか。写真は区分寺跡に集められた五輪塔、板碑、地蔵など。

(4)わたしの現在の説
 穴は穴地形、虫は無所。
Cimg9350
 

大津市の穴虫池は住居地からは南西に走っている川筋上にある。典型的な穴地形だが、墓所であるかは解らない。

 例えば今までに訪れた、あるいは人に見てきてもらった穴虫についていえば、亀岡市千代川北ノ庄穴虫は(1)~(4)まで当てはまりそうだし河原林町河原尻穴虫は(1)~(3)が候補になり、大津市北小路三丁目の穴虫池は(4)がぴったりの気がする。つづく

【今日のじょん】昨晩には黒い地肌が見えていた庭が一夜でまた真っ白になった。今回は南岸低気圧で東京などでの降雪が予想され大騒ぎである。本来ならば都知事選のニュースが主になるんだろうけど、ソチの開会式と相まって都知事のとの字も言わない。
 今朝撮った写真は白黒写真のようで臨場感がある。ところが今までの雪と違って湿気がある。これは降雪が続いてもたいしたことないなという気がする。じょんは同じように遊んでいるが、結構濡れるので困るのよね。P1020278 P1020279 P1020280

 
  

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ウンがついてきた 2/7

2014-02-07 | 日記・エッセイ・コラム

2014.2.7(金)曇り

 ぎっくり腰のため久しく運動をしていなかった。身体が重く、肩凝りも出てきた。三日間降り続いた雪も今日だけは止んで、明日また降るという。今日しかないなあと思いつつうみんピアのプールに行く。この雪では川上経由はちと心配と菅坂越えで行く。
P1020261P1020266 
 

じょんのび付近の朝の様子。

 今日しかないという思いもあったが、かみさんが正月にもらったおおいの湯新春宝くじが当たってそうだからと盛んに言うもんだから重い腰を上げたわけだ。
 じょんのびでもまずまずの雪だが、大町を過ぎ畑口川に入っていくと積雪はずんずん増えてゆく。菅坂峠が近くなるとまるでスキー場にきたみたい。舞鶴まで降りるとじょんのびぐらいに戻る。かっぱ寿司で昼食をとって、吉坂峠に向かう。青葉山がしっかり冬山状態でかっこいい。峠を越えて青郷辺りまで雪があるが、三松を過ぎるとまるで無くなってくる。地形や地域によってこんなにも違うものなのか。P1020272
 


帰路の市之瀬、雪国ですなー。
 いつもの芝生広場は雪があるかも知れないと、密かに長靴を積んできたのだが、その必要は無かった。誰も居ないのでじょんを放して遊んでいると、ありゃ~またしてもうんPしてしまった。昼間には絶対にしないのだが、他の犬の匂いがするのだろうか、それとも随分気分がいいのだろうか。P1020270_2
P1020271


青葉山は冬山状態、ここ本郷はまるで雪なし。プールとお風呂の建物。
 用意のウンP袋で処理をし、じょんを車に納めてプールに行く。2階に張り出された当選番号を、「あたらんもんやな~、ねーのねーの」などと言いながら見ていると、そのうち一枚が特等に当たってるではないか。
P1020277


このプール&スパはいろんなイベントや特典があって面白い。

特等、回数券11回分、3本のうちの一つである。「こいつあ春から縁起がいいわいわい」と喜んだが、かみさんの予感には脱帽である。
 これもじょんのウンでついてきたかな。

P1020276

これがじょんのウンだ。ついてない人、分けたげるで。

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睦志のこと(9) 穴虫-15 2/6

2014-02-06 | 上林地名考

2014.2.6(木)雪

 焼野鉱山が穴虫池の所だったというのは驚きだった。焼野鉱山はもっと山の奥と思っていたのだが、考えれば今でこそ住宅地に接しているが、かつては山の奥であったに違いない。記録に国鉄膳所駅からの距離が別保鉱山で2.7Km、焼野鉱山で2.9Kmとあるからほぼ間違いないと思う。確実な情報はないのだけれど、別保鉱山は大津市環境美化センターあたり、焼野鉱山は穴虫池右岸辺りと憶測するのだがどうだろう。前に紹介した穴虫池の写真左手に小さな穴らしきものが見えるのは一体何だろう。他に撮った写真を見るとやはり人工的な穴のようなものが写っている。桜井さんに確認するとやはり同じ思いを持っておられたようだ。焼野鉱山の坑道跡ではないかという思いである。
Cimg9349


 別保鉱山、焼野鉱山はマンガン鉱山として明治時代から戦後まで操業していた鉱山である。それではそれ以前、特に古代においてこの地帯がいかなるものであったのだろうか。聖武天皇が大仏造立の金を得るために祈らせたというのが石山寺の縁起にあるとおり、金属の匂いのする地域である。近隣の別所付近では鉄滓が出ているし、焼野鉱山付近で泥鉄鉱が出たという記事も見たことがある。
 とある論文から焼野鉱山の図面を見ることが出来たが、そこにある用水池と崩壊谷はまさに穴虫池の右岸と同じ形状で、写真で坑道でないかと思った部分は、旧坑坑道採掘跡と記されている。
 次項「穴地名の考察」で紹介するが、穴虫地名の所は鉱山、金属関連の地域が多い。穴地名が坑道を表すケースは必ずあるが、穴虫の穴は別のものだと今のところ考えている。
 桜井さんが撮ってくれた何気ない写真にわたしの考える”穴”が写っている。それは穴虫池から若葉台の住宅地を撮った写真だが、まさに穴の中から外を覗くような感じなのだ。つまり尾根が両サイドに迫り、その間に谷間となっている地形こそアナと呼ばれるものではないだろうか。あえてそういう地形を穴地形と呼んでみたい。つづく
Cimg9354



【今日のじょん】雪は降り続いて遂に28cmとなった。でも丹波には珍しく軽い雪で、雪かきも簡単、2時間ぐらいで終わってしまう。久々に雪の動画をアップしたので処理が終わったらお見せいたしやしょう。
P1020256
 

雪のぽんぽこぽんは歯にしみるのよね。

【ぎっくり腰情報】17日目
全快とは言えないのだが、ほぼ異常なし。長時間立っていたりするとだるくなる。当初の明らかな回復と違って遅々とした回復なので記録していないと解らない。

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睦志のこと(8) 穴虫-14 2/5

2014-02-05 | 上林地名考

2914.2.5(水)睦志のこと(7)は2014.2.2 
穴虫池(大津市)-1

 各地の穴地名、無所地名を調べ上げ、個々に訪問して探求しようと考えている。まず綾部市上杉の穴虫を訪ねるべく準備していたら、猛烈な降雪となった。車から降りただけでは何も解らないと延期することにしていたら、桜井さんが来られた。実は桜井さんの家の近所にある大津の穴虫池について、昔のことが何か解らないか調べてくれるよう頼んでいたのだ。
 写真も撮ってこられたが、昭和年代以前のことは解らないようだ。
 まず、穴虫池、中穴虫池、上穴虫池は現在では北大路三丁目という住所になるのだが、それは新しい住居表示で、元は膳所別保町と言うことだ。しかも富士見町別所を探して聞き取りをした、かつての焼野鉱山の場所らしい。ということは元々膳所別保町焼野ということになる。
 古いことを知っておられる方に聞かれたそうだが、過去に葬地であったということは聞かないということだった。また、水の事故が過去にあったそうで、完全にフェンスで仕切られているので上流には入れないそうだ。
Cimg9347 Cimg9353

 

 写真では右岸に小径があるようにも見えるのだがどうだろうか。南を走る東海道自然歩道に若葉台へ降りる道標があるそうだ。さすればその道は穴虫池、あるいは左右のどちらかの尾根を通るように思える。逆から歩いて試してみたい気はするが、大津まで行く余裕がない。つづく
Cimg9352


穴虫池、現在は水が抜かれて底が見えている。
【今日のじょん】暖かい日が続いていたので高をくくっていたら、朝は銀世界となった。それでも積雪は知れているだろうと思ったら19cmあった。今期2番目の積雪だ。じょんは何者かの侵入跡をにおぎまくり。P1020247 P1020248

 

 
P1020251P1020249 


しばし雪景色をお楽しみあれ。

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ゆラリー サイクリングロード 2/4

2014-02-04 | 日記・エッセイ・コラム

2014.2.4(火)雪

 京都府民だよりなどで紹介されているが、京都『ゆらりー』サイクリングロードの整備が進んでいる。由良川~上林川~菅坂峠~舞鶴~由良川の周回80Kmで、道路上には自転車通行帯、自転車通行区分明示、自転車誘導線、誘導マーク等でコースを明示して案内板や距離表示サインも整備されるそうだ。
 それに伴って各ポイントで給水や休憩、トイレや空気入れなどが出来るサイクルスポット(仮称)を設ける予定だそうだ。
 6年前じょんのびを開業したときからこのような施設を店に併設しようと考えていた。むしろもっと充実して、パンク修理や簡単な整備、応急手当、パーキング、サイクリングガイド等も出来る場所を提供できればと考えていた。
 昨夏、『ゆらりー』サイクリングロードの記事を見て中丹振興局にそういう設備をもってサポートスティション(当時はそう呼んでいた)に応募する旨連絡しておいたのだが、一向に音沙汰がなかった。担当部署につながっていなかったのか、引き継ぎがなされていなかったのか解らないが、それなら独自でそういう設備を作ろうかと思っていた。
P1020244
 

 
府民だよりも連絡先も担当者も通話者もメモってるぞ。

 昨年の暮れにとある業者が来店し、サイクルスポットの募集をする旨案内があった。昨夏の連絡が活きていたのかと思いきや、アトランダムに訪問したとのこと。1月に正式に募集するというので快諾したところ、2月になっても何も言ってこない。
 お役所なんかあてにしないで、準備を始めよう。まずは案内看板を作り、整備をする小屋を建て、サイクリスト用のシートを作ろう。P1020242



おしゃれな看板作るぞ。

【今日のじょん】
P1020240P1020243 
 

朝これ、夕方にはこのとおり。明日はどーなるかナ。右手のテーブルがサイクリストシートとなるのだ。

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雨読 播磨地名伝承の探索 2/3

2014-02-03 | 雨読

2014.2.3(月)曇り、雨

 加古川の盃状穴、姫路の別所や国府、播磨の夷俘郷、姫路市大塩の穴虫など播磨地方には調査研究中の地域が多くあり、この地方の地名に関してまとまった書物を探していた。
 「播磨地名伝承の探索」寺本躬久(よしひさ)著 2000年11月 神戸新聞総合出版センター第一刷発行 古書
P1020239


「歴史と神戸」は神戸史学会の研究誌で兵庫県内の歴史の情報が詳しい。

 地名の探究には様々なアプローチがあって、地形や地理、伝説や習慣などの民俗学的な手法、方言や外国語など言語学的な手法、遺跡や遺物の考古学的な手法、文献による手法、宗教に関する事柄などなどわたしたちを取り巻くありとあらゆるものからアプローチすることになる。もちろんこれらを複合的に駆使しないと目的に近づくことはできないのであるが。
 本書は基本的に文献から地名を考察するもので、実はわたしの最も苦手な分野で、読了するのに一年近くかかった。読了に時間がかかればかかるほど、内容に一体何が書いてあったか解らなくなって、読解力、記憶力の低下を思い知らされ恐怖さえ覚えるのだが、後日再読することによってその部分を補っている。
 播磨には「播磨国風土記」が残っており、「峰相記」「播磨鑑」など中世近世にわたって重要な文献が存在する。著者はこれらの文献を元にそれを取り巻く実に数多くの文献を駆使して、従来の定説にこだわらずに自らの説を展開されていると解説文的な前書きにある。
 丹波の歴史を考えるとき、隣国播磨のことは大いに参考になる。加古川と由良川の水分が日本海と瀬戸内の文化の流路になっている様に、由良川上流土師川の流域などは播磨文化の影響が感じとられる。
 内容をすべて理解するには至らなかったが、辞書的に座右において必要に応じて参考にしたい。
 偶然に現在研究中の穴虫地名に言及する項があったので紹介しておこう。
佐用郡穴内(あな)に関するもので、いくつかの書物から鉄原料を採取した窪み、穴と解いている。佐用宍粟両郡は良質の鉄の産地であり、地名を見ても金属関連地名が目白押しであり、穴内が鉄関連の地名であることは文献からも当を得ているが、他の穴地名(穴岩、穴尾、穴崎、穴ノ元、アナムシ、穴虫、穴ノ尾)も製鉄関連の地名を示唆していると書いている。穴虫地名が二件新たに見つかったが、果たして製鉄関連地名だろうか。

【作業日誌 2/3】
サイクルスポット看板作製

【今日のじょん】
写真はカメムシに吠えているところ。レールの真ん中あたりにとまっている。
P1020234
壁にくっついているテントウムシなどにも反応し、今日は階段の所で超ビッグなテントウムシを見つけた。この類いのテントウムシはたまに見るが、こんなのは始めて、1.5cm近くあるぞ。
P1020237P1020236 



【ぎっくり腰情報】
 今日で2週間、状況は変わらず、このまま一生いくんかいなと不安になる。日常生活には問題ないが、寝返りや動作に軽い痛みあり。
 
 

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睦志のこと(7) 穴虫-13 2/2

2014-02-03 | 上林地名考

2014.2.2.(日)曇り 4月上旬の気温

 兵庫県の郷土史家、地名研究家の田中早春(さはる)さんが「姫路の地名由来由来・百一話」という本を自費出版されている。発行部数に限りがあり、手に入らないのだが、その元となる記事を「姫路の地名色模様」というブログに書いておられる。大変真摯な内容で、参考になること大である。その中に姫路市飾東町八重畑の無所ノ下という地名の記事がある。この無所ノ下の上には大規模な墓地があり、古くからの墓地で、かつては無所と呼ばれていたそうだ。地図サイトで調べてみても完全に墓地で、ムショというのが墓地であることは間違いがないようだ。
 そして埋め葬地は穴ムショと呼ばれ、虫生の字を当てられてやがて穴虫に変化したと記されている。
 この部分は確信が持てないでいる。穴は遺体を埋めた穴をさすのだろうか、無所→虫生→虫という変化はあるのだろうか。
 まず調べ上げた数多くの地名の現地に赴くことだ。地図ソフトが発達して現地の臨場感ある画像を見ることが出来る様になったが、これはあまり参考にならない。おおまかにこんな風なところだなと感じるだけで、現地を訪れないなら見ない方がましである。それは余計な思い込みが入るからだ。
 現地の方の話も聞きたいし、自分自身が過去の人になったつもりで周囲を見ることが出来る。そしてなにより今回は墓地、葬地を探さなければならない。墓地なんてどこの地域にもあるもので、それが古いものか新しいものかも見なければいけない。
 困難なことは小字の場所は地図ソフトでも見つけにくいことである。特に福知山市は小字名を公開していない。そしてそんなところに限って字配図の閲覧が有料なのである。
P1010674
 

おおい町名田庄虫野、地名由来は何だろう。道からのぞき見ただけでは解らない。
今回紹介していないが、おおい町の名田庄にはいくつかの虫地名がある。
虫野、虫鹿野、虫谷などである。谷川健一氏は「日本の地名」の中で虫、イナゴ、ウンカなどと関連づけられているが、果たしてどうだろうか。武生や加悦町の大虫神社なども気になる所である。つづく

【作業日誌 2/2】
サイクルスポット看板作り

【今日のじょん】じょんのシャンプーの度にかみさんの腰が悲鳴を上げるので、シャンプー台をこしらえることになった。谷村さんにもらったシンクはじょんが入らないので土井さんにもらったシンクの端を切って使うことにした。P1020232 P1020233  



これでつくるのだ。

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睦志のこと(6) 穴虫-12 2/1

2014-02-02 | 上林地名考

2014.2.1(土)晴れ

 塚穴、塚穴道、モガリバなど直接的な地名もある、澤氏が言うようなアシ、イヤ地名など拾うと枚挙に暇がない。このことは忌み嫌われて疎まれると思いがちな墓地地名が実は普通に、むしろ積極的につけられていると考えてもいいのではないだろうか。それは前述したように墓場の固定性にあり、古代から今日までほぼ同じ場所にあり、場所を表す地名のもっとも適したものだと考える。
 また、墓地地名の忌避性というか、嫌がられるという傾向は今日のように人々が様々なところに居住するようになったことと、それに伴って土地の売買や開発が行われるようになってきたからではないだろうか。
 近世以前のように村に一定の人々が居住し、農耕を続けている時代に、その居住地や田畑が「墓の下」などという地名になっていたとして何の不都合があろうか。その土地を売ろうか、その土地に分譲地を作ろうかというような時代になって始めて、この地名ではまずいなと考えるようになったのではないか。元々の墓地、葬地であったところが、随分おしゃれな地名になって売り出されている例を誰もが知っている。
 という風に考えると、無所という地名を嫌って虫になったというのは考えにくいこととなる。
 では綾部、福知山でムショという地名はどうなんだろう。小字で見る限り皆無なのである。これは実に意外だったのだが、調査範囲を三和町、夜久野町、大江町(いづれも現福知山市)に拡げたところムショノ本(三和町上川合)無所ヶ花(夜久野町末)の二個所が見つかった。
Img_3484


三和町上川合の我が家のお墓、かつては土葬で手前の土の部分に埋葬され土饅頭が築かれていた。石塔は山手に列んでおり、これも一種の両墓制ということである。ムショノ本という地名は調べてみないと解らない。
 
ムショが変化した可能性があるのが次の通りである。
武者ヶ谷(福知山市堀)
六畝ノ元(三和町菟原中)
無世尾山(綾部市八津合町)
ムセガ谷(舞鶴市青井)

また、虫地名の例も一部紹介しておこう。
虫田(綾部市西方町)
虫ヶ端(福知山市下野条)
虫蔵(夜久野町畑)
虫ノ倉(大江町天田内)

穴虫も岩滝町男山(現与謝野町)に発見、ほとんどが地図上で確認できないので今後の現地訪問に期待したい。つづく


【今日のじょん】昨日1月のシャンプーをした。体重は18.8Kg、昨年より400gアップだが許容範囲で合格。写真を見ればフカフカ感がおわかりだろう。P1020230_2 P1020231

 

 

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睦志のこと(5) 穴虫-11 1/31

2014-02-01 | 上林地名考

2014.1.31(金)晴れ

 澤先生の睦志は空無所つまり両墓制の詣り墓としているのは合点がいかない。無所→虫→睦志となったと仮定しても、無所は本来の墓、ホウリカであるはずで、両墓制でいえば埋め墓、捨て墓のはずである。先生が睦志に来られて目にされたのは屋敷墓と書いておられるが、これは両墓制における詣り墓で上林ではどこでも見かけるものである。どこにでもある物が地名としてとあるところに付くのは不自然であるし、地名として残るのならば、両墓制が発生するより以前の時代のまだ石塔や卵塔がみられない葬地ではなかろうか。現に氏は睦志についての文の終わりに次のように書いているのである。
 
 
両墓制は各地にあり、丹波にも多いが、愛知県では両墓制のことをムショ、またはラントという。死骸を埋めるところ、それは山裾であるが、そこをムショという。ムショには普通詣らない。詣るところをラントという。
 
 この文からしても虫が無所ならそれは埋め墓であるべきと思うのだが。
 
 それでは墓地、葬地が地名として残るものなのか、綾部、福知山(旧福知山市)の小字を拾ってみた。
 意外に多くの地名が残っている。もっとも目に付くのが塚地名である。塚ノ下、塚ノ上、塚向いなどは墓地を示すようだが、古墳をさす場合もあるようで、古墳も墓には違いないがいわゆる死穢忌避感というものは湧いてこない。例えば上林鳥垣の古墳が残る谷を塚ヶ谷というのは明らかに昔の人が古墳を意識してつけられた地名だろう。
P1010849



鳥垣6号墳のある地域は塚ヶ谷という。

 次に多いのが墓そのものを表す地名である。墓の下、墓ノ脇のように墓からの方向や位置を示す地名がほとんどである。このことは墓地というものが固定的、保守的な場所であることを表している。墓地というのはそれが出来てから、農地になったり宅地になったりしないということがいえるのではないだろうか。だからこそ誰にも認識できる場所であり、その下だとか、その向かい等という地名をつけるとその場所も誰にでもたやすく認識できることとなる。
 サンマイ、三昧という地名も割合見かけることがある。サイマイというのは諸説在るが埋葬墓地、両墓制でいえば埋め墓、捨て墓にあたるもののようで、墓地の呼び方としてはもっとも古いものと考える。つづく

【作業日誌 1/31】
 冬野菜片付け、残っているのは大根1本とブロッコリー。一畝をジャガイモ用に準備中。

【今日のじょん】朝、いつもの散歩道に穴ぼこ発見。猪が草の根を掘ったみたい、かわいらしいもんだけどこれって本格的になると堤防が崩れるまでになるのよね。P1020227




 【ぎっくり腰情報】11日目 相変わらず、日常生活には問題ないが、重いもの、寝返りなどには違和感を感じる。


 

 

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