hokutoのきまぐれ散歩

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1961年10月交通公社時刻表

2013-12-13 00:05:26 | 日記

鉄道シリーズ その26。日本交通公社発行、1961年(昭和36年)10月の時刻表をめくって見たが、わずか50年ながら新幹線がなかった頃と今の違いを思い知らされる点が多い。

昭和36年10月の改正は鉄道の輸送力を大幅に増強したもので、東海道本線の特急を7本から14本に増やしたことから“倍増ダイヤ”と当時呼ばれた。ちょうどローカル線が蒸気機関車から気動車に変わり、夜行が寝台にかわるなど戦後の日本では大きな転換時期だったといえる。それだけに古いものと新しいものが同居しており、新しい国鉄を標榜してはいたが、それでも現代とは大きく違うところがいくつもある。

まず、時刻表を開けると表2と言われる場所に長銀の『リッチョー、ワリチョー』の広告、反対には写りの悪い周遊観光地の案内、まず、気仙沼湾、帆柱山ケーブル、赤穂御崎、豊富温泉、美保関、川田の土柱、八ヶ岳山麓と続く。これらの観光地がどこにあるか全て言える現代人は殆どいないだろう。(小生もかなり詳しい方だが、川田の土柱は知らなかった。)

少しめくると時刻表の本文の前に時刻表に使われる記号の説明があるのだが、記号自体が今はないものの連発である。まず、『準急行列車』これは以前このシリーズで書いたため割愛する。

次に『展望車』これは当時のこだまや富士、つばめ、はとなど東海道を走る151系の特別急行の1号車にあった通称パーラーカーのことで、東京~大阪の二等特急券が800円の頃、一等特急券1920円と特別座席券1800円が必要(それ以外に乗車券が必要)というかなりの特別な車両であった。

さらに、目を引いたのは『電報取扱』『弁当販売』『洗面所設置』『赤帽所在』『弘済会医療班設置』の各駅の記号。
今でこそお悔やみと結婚の時くらいしか使わなくなった『電報』もこの時代は大切な通信手段で松本清張原作の映画『点と線』でも鳥飼刑事や三原警部補が盛んに電報を打っていたシーンを思い出す。
『駅弁』に関しては本編の下の欄に各駅で買うことが出来る特殊駅弁が書いてある。当時の列車は窓が空けることができたこともあり、駅弁は旅の大きな楽しみであった。例えば東海道本線なら、横浜他・シウマイ(100円)、大船・藤沢・あじの押ずし(80円)、沼津・さばずし(100円)、トンカツ弁当(100円)、清水・羽衣弁当(100円)、豊橋・うなぎ丼(150円)…。と列挙されている。
さらに面白いのは『洗面所設置駅』がわざわざ書かれていること。当時はまだSLが走っていたため、ススなどで汚れた顔を洗うためか、国府津、熱海、沼津、富士、静岡、浜松などにある。確かに昔は立派な水道が並ぶ洗面所がホームにあった記憶があったものの、今は殆ど見ることもない。

『赤帽』(ポーター)に至っては小生はもう40年程前に京都駅で見たのが最後である。それでも東京駅には2001年まで、岡山駅には2006年までいた記録はあるが。ちなみに2005年の運搬料は荷物の大きさに関わらず1個500円だった。
『鉄道弘済会医療班』は旅行中のケガや病気に対応する旅行者援護事業をかつて行なっていた。1970年代までは全国主要駅に援護所があったが、今は廃止されている。
古い時刻表をわずか15ページめくるだけでも色々なシーンが目に浮かび、それを想像するだけで楽しくなる。これだから時刻表はやめられない。
(続きはまた改めてとしたい。)