hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

東海道本線 大磯まで

2013-12-28 07:45:12 | 日記
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鉄道シリーズ 番外編その1。小生の鉄道好きが高じたのは、小学生高学年から中学生にかけてだから、昭和45年前後の頃であっただろうか。ようやく色々なところへ1人で行けるようになり、時刻表もよく見るようになった。当時、祖父が神奈川県大磯町にいたため、東海道本線にのり、杉並の家を出て、よく大磯駅や平塚駅まで1人で行くことが増えた。

当時はまだ、オレンジと緑の湘南電車の窓を自分で開けることができた。東京を出ると湘南電車は新橋、品川と停車。今では信じられないかもしれないが、川崎は東海道本線各駅停車は半分程度しか停車しなかった。そのため品川を出ると長く止まらず、横浜までの風景を眺めることができた。

横浜駅の停車時間はせいぜい2分停車と短く、なかなか駅の売店で好物のシウマイを買うことは難しかった。というか、正直乗り遅れることが怖くて降りることが難しかったのである。
さらに当時は戸塚や保土ヶ谷は通過、東戸塚は駅すらなく、これらの駅に行くには横須賀線に乗るしかなかった。

観音様が見えてくると大船に停車、横浜~大船は長い駅間だった。かなり記憶も不確かだが、まだドリームランドに行くモノレールはあったのではないか。

大船の停車は少し長く、駅売りもいたので、鯵の押し寿司はよく買ったものである。そして、藤沢、辻堂、茅ヶ崎と止まる。茅ヶ崎駅の反対側のホームにはポツリ橋本まで向かう相模線のディーゼルカーが停車していた。

平塚駅に着くと夏はホームに風鈴が吊るされ、さらに麦茶を売っており、喉を潤したものである。


そして、ようやく1時間20分かけて大磯駅に到着、この駅は今も昔も東京駅を出てから初めての町にある。(神奈川県中郡大磯町。他の駅は全て区か市にある。)駅の反対側には今よりさらに何もない山が迫っており、ホームから跨線橋を渡り、改札口を出たものである。

駅前には箱根登山鉄道のタクシー営業所があり、左手の海に向かう道には『歓迎大磯海水浴場』と書いた門のような横断幕があった。しかし、当時から波が荒く、遊泳禁止の日が多く、これを打開するために大磯ロングビーチができたと聞いた。

逆の方向に進むと祖父の家がある方向で右手側にはすぐ民家やよく買った魚屋などがあった。当時から駅前には神奈中バスのバス停はあったが、本数は少なく、殆どお目にかかることはなかった。

当時、気になったのは電車の終着駅で表示板に下りは大垣行き、上りは大阪発を見つけ、乗ったら楽しいだろうなと想像したものである。この辺りから、本格的な鉄道ファンになったのかもしれない。