『関東の城址巡り』その1。こと東京に限ると現存する城は皇居などがある江戸城のみである。しかし、来年の干支に因む名所を探るうちに『牛込城』が存在していたことを知った。
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まだ、都内には他にも城址らしきものがあるのでこれらを巡ってみることにしたい。まずは牛込城、その遺構というか、存在していた場所は新宿区袋町、区登録史跡となっている。説明板には『牛込氏は上野国勢多郡大胡(現在の群馬県前橋市大胡)の領主大胡氏を祖とする。大胡氏は天文年間(1532〜1555年)に南下し、北条氏(後北条氏)の家臣となり、姓を牛込に改めて現在の赤坂・桜田門・日比谷付近を所領とした。後北条氏が滅亡した後は徳川氏に仕え、江戸時代は旗本として存在した』とある。
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牛込城は天文年間に築城されたが、徳川氏配下になったのち、1590年に廃城となってしまう。そして城址は現在は光照寺というお寺(1645年に神田から移転)となっている。
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光照寺は神楽坂駅から歩き、大久保通りを越えて少し言ったところを右折。すぐに地蔵坂となるが弓なりに曲がったあたりに大きな保存樹の銀杏が見えるその手前に参道の入口がある。
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境内に入ると大きく開け、正面には小規模な墓地と梵鐘、右手に本堂がある。本堂は太平洋戦争で焼けてしまい、供出していた梵鐘のみが江戸時代のものである。
寺自体が小高い丘の上にあり、牛込城があったと言われている。ただ、城を彷彿させるものはなにもないが。
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光照寺から500mの場所に筑土八幡神社があるが、このあたりに後北条氏と敵対していた関東管領・上杉時氏が筑土城という砦を築いていたことがわかっている。
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神社には50段ほどの石段があり、途中児童公園となっているスペースがある。さらに階段を登ると周囲が見渡せる小高い地点となるが、ここに八幡社の本殿がある。
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ここから熊谷組本社をはじめ、ビルも見下せるが、建物が無いとするとかなり遠くまで見ることができたであろう。
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こうしたことからも今は城の遺構と言えるものは何もないが、城(砦)を築いた理由がよくわかる。地形を見て神楽坂を挟んで上杉氏と後北条氏が敵対していたと考えるだけで面白い。