hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

新宿・中野の坂道②

2022-02-09 05:00:00 | 日記
『東京の坂・日本の坂』その148。成子神社を出て2つ目の角を右に曲がる。両側に再開発ビルが作られ、以前とはまるで風景が変わってしまった。ビルの間を歩くと放射25号線と交差する。

放射25号線はかつて税務署通りと言って抜弁天から北新宿の道を中野坂下交差点まで2009年に延長した道路である。さらにまっすぐ行くと昔からのグネグネ曲がる緩い上り坂となるがこの坂道が『蜀江坂』。



蜀江坂だが、かつてこの辺りは蜀江山と言われたことに由来する。同じ名前の坂は白金にもあるが、『蜀江』とは①平将門が蜀江錦の衣の袖を落とした、②徳川家光が鷹狩でこの地に来た際に紅葉の美しさが蜀江錦のようだと称賛したという2つの説がある。



蜀江坂の案内板はないが、坂の途中にある蜀江坂公園に名前が残されている。



青梅街道に戻る途中に祠があり、ここには『淀橋咳止地蔵尊』が祀られている。元は違う場所にあったが、道路拡張の際にこの場所に移されたもの。コロナ禍の中、手を合わせたいお地蔵様である。



青梅街道に戻るとすぐに中野区との区界に流れる神田川がある。その上にかけられた橋が『淀橋』、東京35区の淀橋区由来となった。



説明板には『元は姿見ずの橋、暇乞いの橋と言われ、中野長者が財産を地中に埋める際に連れてきた家来を殺し、神田川に投げ込んだためついた名前であった。この話を鷹狩りの際に聞いた三代将軍家光はよくない名前であり、かつて見た淀川の景色に似ているので淀橋と改名させた。



区界が中野坂下でここからが『中野坂』、緩やかに登る坂道である。因みに『中野』は武蔵野の中央にあるためつけられた名前であると坂道の案内板には書かれている。中野坂上には再開発ビルが立ち並び40年前に外回りをしていた頃とは全く風景が違う。しかし、よく見ると当時集金に伺っていたお店が残っていて懐かしさが込み上げてきた。

中野坂上は山手通りと青梅街道の交差点、相変わらず坂下から信号まで車が列をなしていた。