『東京の街をぷらっと』その5。この企画、人形町だけで終わっていたが、今回はお隣の『日本橋小網町』をぷらっとする。
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日本橋小網町(以下、小網町)は人形町、小舟町、蛎殻町、箱崎町と日本橋川に囲まれた横長の町でその中心に小網町児童公園がある。
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なんと言っても小網町で有名なのは小網神社である。由緒は元々この土地に往生要集で有名な恵心僧都源信が草庵を建てた。その後疫病の流行した1466年に稲穂を持った老人が草庵に滞在した。庵主の夢枕でこの老人を稲荷神と崇めれば疫病が退散すると言われたが既に老人は去った後。
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しかし、この地に稲荷神社を立てたところ疫病が収まったというもの。ご利益は強力な厄除けと言われていて平日でも参拝者の列が途切れることはない。また、日本橋七福神の一つで祭神は福禄寿である。お守りなど頂けるものも多く、30種類ほどある。
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小網神社から大通りに出ると右手に日清製粉本社のクラシカルな建物が見える。元は1922年(大正12年)に建築されたものでこれに左側の拡張部は1937年に増築されたものである。この場所は東堀留川という水路と日本橋川が合流する地点で隣の児童公園の位置に思案橋という橋が架けられていたとのことである。
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児童公園を右手に歩くと古い建物が残る一角。看板作りの家が3軒が並んで建っていて左端は銅板葺と時代を醸し出している。
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すぐ先を左に曲がると『桃乳舎』、1889年(明治22年)創業、元は牛乳の販売所、その後ミルクホールとなった。現在の建物は1933年建築、洋食屋を経営している。洋食屋と言っても名物は黄色いカレー、カリカリの揚げ物がメインで値段も安く、昼時はサラリーマンの列が絶えない。
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建物に残る桃のレリーフがなかなかオシャレである。カツカレー570円、スパゲッティ490円、コーヒー260円、クリームソーダ350円となぜかかなり財布に優しい。
この辺りは太平洋戦争の空襲で焼けなかったところのようである。(以下、次回)