『鉄道シリーズ』その168。遂にまた買ってしまった時刻表復刻版その3冊目。今回は1968年10月号、マニアの間では『ヨン・サン・トウ』の国鉄ダイヤ全面大改正号と呼ばれているものである。当時私は10歳、細かいことはあまり覚えていない。
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1968年というと東海道新幹線開業から4年、ただ、まだ新幹線は東京〜新大阪のみ、まだまだ在来線が殆どの時代である。世界情勢ではベトナム戦争が泥沼化、プラハの春が起きた年でフランスのグルノーブルオリンピックが開かれた。さらに中国の文化大革命もこの年。日本ではボンカレーやソニーのトリニトロンテレビなどが発売。一方でカネミ油症、イタイタイ病、十勝沖地震など暗い事件も多く、その中で川端康成のノーベル文学賞で湧いた年である。
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時刻表を見てまず驚いたのは北海道をはじめとする路線の多さ。廃止されてしまった路線もまだ多くの本数の列車が走り、元気である。それにしても新幹線がないため、当時の急行の行き先には驚かされる。
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まず常磐線をみると水戸発磐越東線経由福島行きの『急行スカイライン』、急行ではないが上野発土浦から筑波鉄道(当時は関東鉄道筑波線)筑波行の『筑波号』、上野発水戸経由水郡線周りの郡山行『急行奥久慈1号』、筑波鉄道筑波発土浦経由日立行『筑波山』などがある。
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中央本線も新宿発松本行の『急行アルプス』に併結されていた飯田線飯田行の『急行こまがね』。新宿発小淵沢経由小海線中込行の『急行八ヶ岳』。
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東北本線は上野発宇都宮経由日光線日光行の『急行日光』、上野発郡山経由磐越西線会津若松行の『特急あいづ』、上野発水戸線経由常磐線勝田行『急行つくばね』、上野発小山経由両毛線桐生行『急行わたらせ(但し、両毛線内は普通列車)』、上野発郡山経由磐越西線経由新潟行『急行いいで』。
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とにかく急行の種類は多く、さらに併結も多かった。これを今と時間を比較してみると面白い。上野〜会津若松を当時の特急あいづに乗ると上野1415→会津若松1750、現在新幹線を乗り継ぐと上野1418→郡山1548、郡山1615→会津若松1721とさすがに30分ほど今の方が早く到着できる。
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新宿〜飯田は当時の急行こまがねに乗ると新宿0650→飯田1210。現在は新宿発あずさ1号で上諏訪0913、上諏訪発豊橋行で飯田着は1219とこの場合は当時の方が早く到着できる。
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急行がかなりの路線で走っていたことはこれだけではない。今は廃止された、言わば閑散線にも急行は走っていたのである。北海道を例に挙げると瀬棚線(瀬棚〜国縫〜長万部)の急行せたな(瀬棚〜函館)、松前線(松前〜木古内)の急行松前(松前〜函館)、江差線(江差〜函館)の急行えさし、標津線(標茶〜根室標津)の急行しれとこ1〜4号(釧路〜根室標津)、池北線(池田〜北見)の急行池北(北見〜置戸〜池田〜帯広)、羽幌線(幌延〜留萌)の急行はぼろ(札幌〜深川〜幌延)、天北線(稚内〜浜頓別〜音威子府)の急行天北(稚内〜天北線〜札幌)ほかまだまだある。
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特に変わっていたのが急行いぶりである。今は全線廃止されてしまった胆振線(伊達紋別〜倶知安)を使った回遊急行で札幌1025〜函館本線〜倶知安〜胆振線〜伊達紋別〜室蘭本線〜苫小牧〜千歳線〜札幌1742と7時間以上走っていた。もちろん逆回りもおなじ急行いぶりとして走っていて胆振線のほぼ真ん中あたりにある喜茂別駅で交換していた。この駅では同じ札幌行が反対側のホームに入るという珍事が毎日見れたのだろう。
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これらを考えると①当時はまだまだ急行のステイタスが高く、また、運転しても乗客がそれなりに見込めたこと、②大都市間は今の方が遥かに便利になったのだが、直接アクセスできた当時の方が今より便利だった地方都市は数多くあったことなど色々と発見がある。とにかく昔の時刻表を見るたびにこの時代にタイムスリップしたいと思うのである。