『鉄道シリーズ』その173。昭和43年10月号の時刻表④。暇に任せて時刻表を見比べると色々面白いものを発見する。
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当時1番短い路線であったのは徳島県の小松島線(中田〜小松島〜小松島港仮乗降場)である。元は地元の船舶会社が敷設した軽便鉄道で1913年に国有化された。全体では2.2kmだが、小松島〜小松島港は仮駅のため、規則上営業距離に入れず計算するため1.8kmしかない。
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このため、例えば高松〜小松島港まで行く場合も小松島までの距離計算で運賃は計算した。そこで気になるのが小松島〜小松島港を乗車した時の運賃、これは未だに謎のままである。
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後ろのページには全国の私鉄が乗っているが、全て網羅されているわけではなく、まだ残っていた北海道の植民鉄道もなぜか歌登町営鉄道のみが掲載されていた。多分、幌延町営鉄道、標茶町営鉄道、浜中町営鉄道、別海村営鉄道は走っていたはずなのだが。
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掲載されていた小頓別〜歌登〜志美宇丹だけではなく、小頓別〜枝幸、歌登〜志美宇丹、歌登〜本幌別が運行されていた。
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さらに面白いのは歌登〜志美宇丹は12.8kmしかないのにこれを4時間50分もかけて走っていること、つまり時速2.7km/hと人が歩くより遅いのである。こんなのんびりしたてかは本当にあったのだろうか。
こんな幻のような鉄道も使われたディーゼル車は歌登町営うたのぼり健康回復村に残されている。
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もう少しゴージャスな臨時列車を一つ。最近の新婚旅行は海外、例えばハワイなどに行くのが定番だろうが、昭和43年当時は九州、宮崎に行くというのがステイタスだった。このブームにあやかったような臨時列車が京都1937発宮崎行き急行ことぶきである。10月の大安の日に運行、全車一等、2等寝台車かつ全車指定。翌日1430に宮崎に到着する。編成は臨時列車のため記載がないが、食堂車も併結しており、特別な列車だったのであろう。
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その後は食堂車はなくなったのだが、昭和48年秋までは運転された模様。なお、ベッド🛌の下にBと書かれたマークは全国発売ではなく、始発駅と主な停車駅、交通公社等が発売する指定券の意味である。当時はことぶき周遊券もあり、新婚旅行の主役も鉄道だったのだろう。入場券10枚付きと言うことは駅までみんなで送りに行ったのかもしれない。
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