『鉄道シリーズ』その172。昭和43年10月号の時刻表③。国鉄バスを取り上げたならば国鉄航路にも触れておきたくなる。現在もJRが経営している航路は広島県の宮島口〜宮島のJR西日本航路1つのみであるが、当時は数多くの航路があった。
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北から青函連絡船(青森〜函館)、宇高連絡船(宇野〜高松)、大島連絡船(大島〜小松港)、宮島連絡船、仁堀連絡船(仁方〜堀江)の5つである。
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青函連絡船は石川さゆりの『津軽海峡冬景色』にも出てくる有名な航路。1954年9月に発生した洞爺丸事故で1155人もの人命が失われて、その後の青函トンネル建設に繋がったことは有名である。
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函館〜青森を4時間余りで結んでいたが、青函トンネルが開通すると廃止された。
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宇高連絡船も宇野〜高松を結んでおり、甲板で味わう讃岐うどんが美味いのでも有名だったが、こちらも瀬戸大橋開通により廃止され、代わりに瀬戸大橋線が開通した。
大島連絡船は広島県西部にある周防大島と本土を結ぶ県営連絡船を国鉄が引き継いだものであり、周防大島橋開通と共に廃止されたのである。
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これらは有名だが、あまり知られていない中ひっそりとなくなったのが仁方〜堀江を結んでいた仁堀航路である。宇高連絡船の陰で場所的には松山〜呉を結んでいた西側の本四連絡の手段であった。私が大学3年生(1981年)の時に四国周遊券を使って旅行をした時も行きは宇高連絡船で四国に渡った。高松、琴平、松山、宇和島、大洲、内子などを旅行して本州に戻る際に仁堀航路を利用した。当時の時刻表を見ても宇野〜高松が片道15便、大島航路が36便、宮島航路が37便ある中で仁堀航路は片道僅か3便しかなかった。
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さらに仁方は呉線で呉から3駅岡山寄り(但し、急行は停車)、堀江は予算本線で松山より3つ今治寄り、こちらは各駅停車しか停まらない小さな駅である。
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当時、私は大洲から各駅停車を使い、堀江駅で下車した。既に堀江駅は無人駅であり、聞く駅員とおらず、波止場の場所がよく分からないためか10分以上は歩いた気がする。波止場では周遊券を見せて連絡船に乗ったのだが、船の覚えはスタンプがなかったことだけ。確かに小さな船ではあったが。(たぶん1975年に新造された瀬戸丸399t。)
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1時間40分の船の旅は楽しかったが、対岸の本州も同じように寂れていた。仁方桟橋から仁方駅まではかなり遠く、重い荷物を担ぎながら何とか辿り着いたのである。ただ、不便ということは認識していたようで呉線坂駅近くにあった坂町YHに宿泊したことは間違いない。坂町駅を降りた後も坂町という位で長い坂道を歩かされたからである。
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実はその1年後の1982年7月に仁堀航路はあまり取り上げられることもなく、廃止されてしまった。今はない4航路のうち橋の完成などではなく、赤字で廃止されたのは仁堀航路のみである。
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しかし、この航路がなければ1979年10月に出版された宮脇俊三氏の名著『最長片道切符の旅』で四国には入れなかったはずである。