『東京の坂、日本の坂』その173。今回は京浜東北線大森駅近くの坂道を巡る。『大森』と言えばという質問をすると、『海苔』と答える人と同じくらいの人が『貝塚』と答えるような気がする。
大森駅のプラットフォームには『日本考古学発祥の地』という石碑が置かれ、縄文土器のレプリカが飾られている。
ただ、京浜東北線や京浜急行に乗るとよくわかるが、線路に沿った道は低いところを通るが、すぐに崖線が見える。大森の場合は京浜東北線を境に北側の山王地区は小高くなっていて明治以降政治家や文人が暮らした。
山王側に出ると池上通りが左右に通るが、右から左に向かって緩い坂道となっている。これが『八景坂』である。今でこそ緩い坂だが、かつては薬研のような切り立った坂道であったため、薬研坂の異名もある。
八景とは『笠島夜雨、鮫州晴嵐、大森暮雪、羽田帰帆、六郷夕照、大井落雁、袖浦秋月、池上晩鐘』をいい、かつてはこの坂上から大森の海辺より房総まで一望できたという。
案内板の裏に天祖神社がある。境内に登る石段も険しく、上からは駅がよく見える。
坂を少し上り、みずほ銀行手前を左に曲がると短い坂道がでてくる。これが『清浦さんの坂』である。
清浦さんとは1924年1月〜6月まで第23代内閣総理大臣を務めた清浦奎吾氏のことでこの坂の中腹に屋敷があった。
八景坂を上り、山王口の交差点にNTTデータのビルがある。その前にあるのが大森貝塚の石碑のレプリカ。
本物はNTTデータのビルの横にある道を京浜東北線線路のほうに降りたところにある。
大森貝塚は1877年にアメリカ人動物学者エドワード・S・モースが車窓から見つけたもので出土品は国の重要文化財に指定されている。(以下、次回)